人である事すら、男は手放していたのかもしれない。
そこにあったのは、間違いなく完全なる歓喜。
獲物の個の認識より早く、駆け出した。
心も意識も、己が欲求のみに染まる。
緑が生え揃えられた丘の上。
狂気が花を咲かせる。
「がああぁああぁぁあっ!」
人語を忘れた獣のように、男は躍りかかった。
醜い雄叫びに慄いて振り返る姿が見えた。
陽に透けてふわふわと踊る蜂蜜色の髪が、いっそ甘そうに映る。
大きな瞳が驚愕に、こぼれ落ちんばかりに見開かれ。
小さな桜色の唇が、恐怖を型取り音を成そうと動いた。
それを許さず刃を振りかざし、獣がその牙で獲物を裂くように。
小柄な体躯に、一閃。
声を奪う。
何が起きたかさえ理解させる間も無く、更に一閃。
足の自由を奪う。
絶妙な力加減で、潰したいものだけ潰して満足げに見下ろす。
それは、男が繰り返してきた残酷な狩の中で習得したものだった。
辺りに漂う濃厚な鉄の匂いに、視界を染める深紅。
突然の凶行に、幼い体躯はただ生きることを求めて、その場を這うように逃げようと男に背を向ける。
息も絶え絶えにもがく様を、男は満たされる期待に笑みを刻む。
溢れる金臭い匂いは、極上の香水。
耳に障る掠れた金切り声は、心満たしてくれる極上の旋律。
これ、この瞬間。
蟠るように燻っていたものが、昇華されていく。
だがまだ足りない。
地を這い、声なき悲鳴を上げながら遠ざかろうとする、幼い背中にどっかと跨がる。
尻の下で重みに何かが砕ける感触がした。
ごぽり、と水音が聞こえ。
地を掻く小さな爪が、目に見えて力を失っていく。
生命の息吹そのものが、急速に萎んで逝く。
それらを肌で感じ、悲鳴のような笑い声を上げた。
歓喜歓喜歓喜…!
そして。
獲物の命潰えるその瞬間を狙って、わずかに息を整えた。
死神がその鎌を構えるが如く、深紅に染まった刃を振りかざし。
歓喜と狂気と悦楽と安堵と期待と緊張と解放と…。
すべてがない交ぜになった感情を刃に余す事なく乗せて。
一息に、その首の付け根に突き下ろす。
男の望んだ完結、この瞬間に成った『ハズ』だった。
だが。
感触が男の脳髄を駆け上がる刹那。
世界は、空気の色を変えた。