「そうやって負の遺産の中で諒はPTSDを発症。知ってる人間は少ないけど諒はずっとそれと闘ってる。ただのお気楽なお坊ちゃんじゃない。」
嘉納は言いながらハンドルを丁寧に切った。
「なのに―死に物狂いで周囲の期待に応え続けて上り詰めた物を…失っても良いって言うんだよ。阿呆でしょ?」
「えっ?」
信号が赤になり、停車した途端、嘉納は沙耶を振り返った。
「―その女の為に、全てを失う覚悟があるのかって訊いたら、諒の奴、何て答えたと思う?」
―わからない。
そんなの、分かる訳がない。
何も言わずに見つめ返す沙耶から、嘉納は信号に向き直る。
「『勿論。だって全ては、あいつの為にあったんだ』だと。」
「え―?」
思い出せなかった記憶の片方が、自ら囁いた。
―『やっぱり硝子の靴は必要だったんだ。』
『さぁちゃん。僕が君に硝子の靴をあげるから。』
『だから、絶対に忘れないで。今僕が言ったこと。』
絶対に、忘れないで。


