双子壁が造られたのは80年前


事の発端は100年前、貴族の女から生まれた双子から始まった

書物に因ると、それが¨双子の誕生¨の一番最初に生まれた双子だったらしい

先に生まれた子の名前はイワン

意志が強く、負けず嫌いで自己中心的な性格であった

それに対して弟のミハイルは消極的で、それでいて頭脳明晰な一面があり、大人からは可愛がられていた

そんな二人の誕生を期に、双子の誕生が相継いだ

そこで起きた重大な事は何か

食糧の不足だ

故に餓死する者も後を絶たず、5年の月日が流れた頃には疫病の蔓延が爆発的となった

それでも尚増幅する双子の人口に当時の王が取った行動は壁を創り、相互の内部に双子を引き離す事だった

国民の反対は確かにあったが、それを賛成とする者も半々

結局の所、自分が一番可愛い大人の手に因って双子壁が造り上げられたのは、双子の誕生から20年が過ぎた頃だった

最初の双子であるイワンとミハイルは20歳となり、貴族の子でありながら双子壁の犠牲者となった

しかし、イワンはそれを不利だと考え、王にこう訴えた


「二人の内どちらか一人が死んだら、スヴィズダーに戻してくれ」


現状を打開さえ出来ず、原因も判らないまま出生者の約6割りが双生児として誕生していく

王はイワンの策を受け入れた

そして、20年に1度スヴィズダーの下にある【ドゥシャー】と呼ばれる島に双子は収集され、どちらか一人が死ぬまでの戦いを強いられた

これがイワンとミハイルの姓から取った¨マカロフ経典¨である