「え、マジなのそれ」

「忘れてた……」

皆、無言でジャージに着替えた。
ダッシュで大ホールに向かう。

普段なら、誰かしらが、しおりを手にして持ち物などを伝えるのだろうが、そんな時間の余裕はない。

講義か講演の後、すぐにレクリエーションなんだろう。
慌ててエレベーターに飛び乗る。

「何するんだろ」

「さぁ。
知らない。
しおり見てないし」

一体何ををするのか、さっぱり分からない。
大ホールに着くと、皆がペアになって何かの練習をしていた。

何なの?
よく見ると、片方のペアがふくらはぎに足をかけ、相手の動きを止めてから、肩を軽く押している。
すると、相手の身体が回転した次の瞬間には地面に倒れていた。

いったい何なの?

「犯罪に巻き込まれないための護身術の練習の時間だよ」

麗眞くんが駆け寄ってくる。

「今やってるのは俺が親父から教わったやつだし、後でじっくり教えてやるよ。
次からまた違うのやるから」

はぁ……
とてもじゃないが、医療従事者志望には必要だとは思えない。

だけど、一応受けておくか。
知っておくに、越したことはないと考えた。

万が一にもあの予知夢のようなことが起こったときに、対処できると楽だろう。

手首や胸ぐらを掴まれた時の対処法やら、後ろから羽交い締めにされた時の対処法など。

たくさん教わって、脳がパンクしそうだ。

その後は、少し広い多目的グラウンドに移動して、女子はドッジボール、男子はフットサルをクラス対抗で行った。

運動と縁のない私は、仮病を使ってでも参加せずにいたかった。

しかし、事情のない人以外は強制参加であるらしい。

碧ちゃんは隅に座って、私たちの試合を見ていた。
喘息の発作が出ては困るからだ。

味方に当たったボールも、味方が捕ればアウトにはならないルールだ。
何度か、椎菜ちゃんを外野行きから救った。

運動とは縁がない私自身がビックリした。

「も、椎菜ちゃん?
彼氏さんのフットサル姿、気になるでしょうけど、今はこっちに集中して!

私たちのクラス以外の試合の時に、彼氏さんの見ればいいじゃん?」

私も、深月ちゃんも華恋ちゃんも、何度も彼女にそう言った。

「じゃあ、頑張る!
麗眞も気になるけど、ここで負けたら、合わせる顔がないし!
私の母は昔バスケ部だったみたいだし、ちょっと毛色が違うけどやれるよ。

任せて!」

あの、オシャレな椎菜ちゃんの母親が、バスケをしている姿なんて、想像つかない。

心なしか、目が本気になった気がする椎菜ちゃん。
それは私の気のせいではなかったようで、次々と相手のチームを外野送りにした。

本気だ……。
こんな椎菜ちゃんは、見たことがない。
そして、よく見れば膝を狙っている。

私が何気なく、携帯電話で調べながら言ったことが、こんなところで役に立つとは思わなかった。

あれは、護身術限定だと思っていたからだ。
普通のスポーツでも有効だったなんて、知らなかった。

感心していると、隣で頑張ってボールを捕っていた深月ちゃんが、当てられてしまった。

しまった、今は、仮にも試合中だった。

感心なんかしている場合ではなかったのだ。

「ごめん皆!
早く戻れるようにする!
あとは頑張って!」

そう言って、にっこりと、深月ちゃんは、自らにボールを当てた女の子に微笑んでから、外野に向かう深月ちゃん。

その微笑みが、少し怖かった。

おそらく、外野行きになった深月ちゃんは、その子を重点的に狙って、内野に戻ってくるのだろう。
女子の恨みは怖いなぁ。

残るは、椎菜ちゃんと私と、陽花ちゃんと華恋ちゃんだけ。
野川ちゃんは、眠そうにしていたら初っ端アウトになってしまっていた。

試合には向いていないな、野川ちゃん。

しかし、陽花ちゃんはさすが体育教師志望というだけあって、バテていない上に、球を投げるスピードも速い。

なおかつ、変化球を投げている。

すごいなぁ。
内野が彼女一人になっても逃げ切れそうだ。
そして気づけば、敵の内野は2人。
数的にはこちらが有利だ。

陽花ちゃんは変化球で膝を狙って、残りは内野一人だ。
敵の外野が投げた勢いも速さもないボールはなんとか捕ることが出来た。

私は、とりあえず渾身の力を込めてボールを投げた。

敵のチームの女子がボールを捕ろうとして指に当たったようだ。

指を押さえながら外野に戻った、髪をツインテールにした女の子を横目で見やる。

私が投げたのは強い球ではなかったと記憶している。
それなのに、当ててしまったのか。
……申し訳ない気持ちになった。

後ほど、捻挫や打撲の所見がないかだけ見ることにしよう。
せめてもの罪滅ぼしだ。

「1年C組の勝ちだ!」

私たちのクラスの勝利が確定すると、私はすぐさま先ほどの女の子のところに駆け寄る。

「ごめん、大丈夫?
突き指、してない?」

「大丈夫だよ?
心配してくれてありがとう」

その女の子のにこやかな笑顔を見て、私もホッと胸をなでおろした。


「強いね?
あ、私、名前を帳 琥珀(とばり こはく)っていいます。
よろしくね?

麗眞くんと椎菜ちゃんの両親。
あとは、深月ちゃんの両親。
彼らと私の両親が知り合いなんだ。

詳しくは後で聞いて!」

差し出された彼女の右手をそっと握る。

「岩崎 理名です。
よろしく」

そう言って、私は彼女に手を振って、麗眞くんのフットサルを観ようと手招きをしている深月ちゃんたちのところに向かった。

椎菜ちゃんは、もう、彼氏の麗眞くんのプレーに、夢中である。

碧ちゃんたちと喜びを分かちあったけど、その輪からは外れている。
椎菜ちゃんに、さっき会った女の子のことを聞こうと思った。

まぁ、後でもいいよね。

よく見ると、深月ちゃんが、さきほどのツインテールの彼女のほうをちらちら見ている。
やっぱり知り合いかな?