「凜さん、ありがとうございます。
お疲れ様でした」
「いいのよ。
もう慣れてるしね。
昔から、椎菜ちゃん、風邪引くと気管支炎併発するか、肺炎になりかけて悪化させてたし。
呼吸器内科にはお茶の子さいさいだから、安心して?」
「で? 凜さん。
肝心の、椎菜の容態は?
明日には回復するんでしょうね?
そうさせておかないと、レクリエーションのバーベキューとドッジボールが出来ないし」
「貴方も相変わらずね。
まぁ、貴方の大事なプリンセスが心配なのは分かるけど。
麗眞くん、だったかしら?
そんなに心配しなくても大丈夫よ。
明日には完全に元気になるはずよ。
熱も微熱程度まで下がったし」
凜さんはそう言いながら椎菜ちゃんの病室のドアをそっと開ける。
半開きになったドアの隙間からは、すやすや眠っている様子の椎菜ちゃんが見えた。
「点滴で解熱剤と痰を出やすくする薬入れたから、寝かせて様子見にしたわ。
一応、胸部X線も撮ってみたけれど、胸部レントゲン写真ではっきりとした陰影は認められなかったの。
ほぼ正常といえるわ。
やや気管支の周りに陰影がぼんやりと映る程度だった。
健康診断の時のデータと照合もしてみたかったのだけれど、まだ結果が出ていないみたいで、出来なかったわ。
そこだけが心残りだけれど」
「さすがです、凛さん」
肺炎の所見は見られなかったようだ。
肺炎の場合は胸部レントゲン写真を撮ると、はっきりとした陰影が現れる。
「あら、鞠子さんの娘さんに言われるなんて光栄だわ」
伊藤先生が携帯電話の着信にビックリしつつ、辺りをキョロキョロ見回している。
何をしたいかはすぐに分かった。
通話スペースまで引っ張っていった。
麗眞くんと凜さんが何か話し込んでいたが気にせずに、伊藤先生の電話が終わるのを待っていた。
どうやら、私たちのクラスの担任に、椎菜ちゃんの経過を報告しているようだった。
「わかりました。
失礼致します」
電話を切ると、待たせてごめんなさいと、伊藤先生が私に微笑みかけた。
2人で麗眞くんと凜さんのところに戻った。
「凜先生、うちの生徒をよろしくお願いいたします。
宝月くん、岩崎さん、一緒に研修センターに戻るわよ。
もう消灯時間を過ぎているし、私の部屋に二人ともいてくれる?」
「わかりました」
「了解です」
「皆様、戻りましょうか」
凜さんにお辞儀してから、そう言った相沢さんについていく形で、病院入口付近のエレベーターに乗る。
エレベーターは意外にも速く屋上へと運んでくれた。
未だに屋上に留まっていたヘリの中では、先ほどのパイロット、南さんが眠気と闘うように、ミントタブレットを口にしていた。
「お待たせしました、お疲れ様です」
「ありがとう、気遣ってくれて。
昔、ドクターヘリのパイロットやってたことあったんだ。
俺なんかより、医者や看護師の方が、目の下にクマ作りながら仕事してんだもん。
夜勤の疲れもろくに取れてないんだろうよ。
俺らが疲れたなんて言ってちゃ、彼らに申し訳ないって」
「気を悪くしたならごめん。
君のお母さん、鞠子さん、って名前だったんだよね?
彼女が、何度かヘリに乗せた患者の対応してるところを見たことあるんだ。
本当に、患者の命を救うことを最優先にしていた看護師だったよ。
その気迫は、他の医師もビックリしていたほどだった」
「もう言われ飽きたと思うけど、鞠子さんにそっくりだよ、理名ちゃん」
南さんに、頭をくしゃくしゃに撫でられた。
「ありがとうございます」
「ほら、理名ちゃん。
早く席座れ。
離陸できないから」
南さんの言う通り、通路を挟んで麗眞くんと相沢さんの隣に座った。
凜さんは、あの頃と変わっていなかった。
私がまだ小さかった、あの日と。
……あれは、私が小学校に上がる年の冬のことだった。
私を病院の入口付近の椅子に待たせて、仕事終わりにレストランに行く約束をしていた。
けれど、急遽処置が必要な患者が救急車で搬送されてきたため、人も足りず、母も駆り出されたのだ。
母親を心配そうに見上げることしかできなかった。
「ごめんね。
レストランはまた今度ね?
ママ、人を助けて来なくちゃ」
母は私の頭を軽く撫でた。
夏目漱石さんの顔が書かれたお札を私の手に握らせて、白い靴の音を響かせながら私の元から離れて行った。
「凛さんも、医師でしょう。
一緒に来てください」
凛さんも、行っちゃうんだ。
わたしは、ひとりぼっちで、ここにいなきゃいけないんだ。
そう思った。
……しかし。
「いいえ。何を言われても、私はお手伝いしませんよ。
鞠子さんの娘さん。
同じ病院内のスタッフの子供を見守るのも仕事です。
この子の身に何かあったら、スタッフである鞠子さんが仕事に集中できなくなるでしょう。
それを防ぐためにも、私は、この子を見ますから。
貴方も、私を頼らなければならないほど、知識がないわけではないでしょう。
分かったら、早く鞠子さんを手伝いなさい」
そう言って、男性看護師の言葉に、ハッキリと拒絶の意を示した凛さん。
男性看護師が、あろうことか舌打ちをしながら凛さんの前から去っていく。
涙が零れそうなのをこらえていると、凜さんが来た。
「ごめんなさいね、理名ちゃん。
嫌な大人はいなくなったから、ご飯食べに行こうか」
そう言って、病院の外のレストランに連れて行ってくれたのだった。
その時、優しい眼差しで、私の鞄に母が握らせた1000円札をしまうと、凜さん自ら私のお子様ランチ代を払ってくれたこともきちんと覚えている。
そんなことを思い返しているうちに、眠ってしまったらしい。
凛さんは、医師なのに、看護師並みに人に細かい気配りが出来る人だった。
気付けば、ヘリの中ではなく研修センターの伊藤先生の部屋のベッドに寝かされていた。
麗眞くん、伊藤先生、相沢さん、南さんが心配そうに私を見下ろしていた。
お疲れ様でした」
「いいのよ。
もう慣れてるしね。
昔から、椎菜ちゃん、風邪引くと気管支炎併発するか、肺炎になりかけて悪化させてたし。
呼吸器内科にはお茶の子さいさいだから、安心して?」
「で? 凜さん。
肝心の、椎菜の容態は?
明日には回復するんでしょうね?
そうさせておかないと、レクリエーションのバーベキューとドッジボールが出来ないし」
「貴方も相変わらずね。
まぁ、貴方の大事なプリンセスが心配なのは分かるけど。
麗眞くん、だったかしら?
そんなに心配しなくても大丈夫よ。
明日には完全に元気になるはずよ。
熱も微熱程度まで下がったし」
凜さんはそう言いながら椎菜ちゃんの病室のドアをそっと開ける。
半開きになったドアの隙間からは、すやすや眠っている様子の椎菜ちゃんが見えた。
「点滴で解熱剤と痰を出やすくする薬入れたから、寝かせて様子見にしたわ。
一応、胸部X線も撮ってみたけれど、胸部レントゲン写真ではっきりとした陰影は認められなかったの。
ほぼ正常といえるわ。
やや気管支の周りに陰影がぼんやりと映る程度だった。
健康診断の時のデータと照合もしてみたかったのだけれど、まだ結果が出ていないみたいで、出来なかったわ。
そこだけが心残りだけれど」
「さすがです、凛さん」
肺炎の所見は見られなかったようだ。
肺炎の場合は胸部レントゲン写真を撮ると、はっきりとした陰影が現れる。
「あら、鞠子さんの娘さんに言われるなんて光栄だわ」
伊藤先生が携帯電話の着信にビックリしつつ、辺りをキョロキョロ見回している。
何をしたいかはすぐに分かった。
通話スペースまで引っ張っていった。
麗眞くんと凜さんが何か話し込んでいたが気にせずに、伊藤先生の電話が終わるのを待っていた。
どうやら、私たちのクラスの担任に、椎菜ちゃんの経過を報告しているようだった。
「わかりました。
失礼致します」
電話を切ると、待たせてごめんなさいと、伊藤先生が私に微笑みかけた。
2人で麗眞くんと凜さんのところに戻った。
「凜先生、うちの生徒をよろしくお願いいたします。
宝月くん、岩崎さん、一緒に研修センターに戻るわよ。
もう消灯時間を過ぎているし、私の部屋に二人ともいてくれる?」
「わかりました」
「了解です」
「皆様、戻りましょうか」
凜さんにお辞儀してから、そう言った相沢さんについていく形で、病院入口付近のエレベーターに乗る。
エレベーターは意外にも速く屋上へと運んでくれた。
未だに屋上に留まっていたヘリの中では、先ほどのパイロット、南さんが眠気と闘うように、ミントタブレットを口にしていた。
「お待たせしました、お疲れ様です」
「ありがとう、気遣ってくれて。
昔、ドクターヘリのパイロットやってたことあったんだ。
俺なんかより、医者や看護師の方が、目の下にクマ作りながら仕事してんだもん。
夜勤の疲れもろくに取れてないんだろうよ。
俺らが疲れたなんて言ってちゃ、彼らに申し訳ないって」
「気を悪くしたならごめん。
君のお母さん、鞠子さん、って名前だったんだよね?
彼女が、何度かヘリに乗せた患者の対応してるところを見たことあるんだ。
本当に、患者の命を救うことを最優先にしていた看護師だったよ。
その気迫は、他の医師もビックリしていたほどだった」
「もう言われ飽きたと思うけど、鞠子さんにそっくりだよ、理名ちゃん」
南さんに、頭をくしゃくしゃに撫でられた。
「ありがとうございます」
「ほら、理名ちゃん。
早く席座れ。
離陸できないから」
南さんの言う通り、通路を挟んで麗眞くんと相沢さんの隣に座った。
凜さんは、あの頃と変わっていなかった。
私がまだ小さかった、あの日と。
……あれは、私が小学校に上がる年の冬のことだった。
私を病院の入口付近の椅子に待たせて、仕事終わりにレストランに行く約束をしていた。
けれど、急遽処置が必要な患者が救急車で搬送されてきたため、人も足りず、母も駆り出されたのだ。
母親を心配そうに見上げることしかできなかった。
「ごめんね。
レストランはまた今度ね?
ママ、人を助けて来なくちゃ」
母は私の頭を軽く撫でた。
夏目漱石さんの顔が書かれたお札を私の手に握らせて、白い靴の音を響かせながら私の元から離れて行った。
「凛さんも、医師でしょう。
一緒に来てください」
凛さんも、行っちゃうんだ。
わたしは、ひとりぼっちで、ここにいなきゃいけないんだ。
そう思った。
……しかし。
「いいえ。何を言われても、私はお手伝いしませんよ。
鞠子さんの娘さん。
同じ病院内のスタッフの子供を見守るのも仕事です。
この子の身に何かあったら、スタッフである鞠子さんが仕事に集中できなくなるでしょう。
それを防ぐためにも、私は、この子を見ますから。
貴方も、私を頼らなければならないほど、知識がないわけではないでしょう。
分かったら、早く鞠子さんを手伝いなさい」
そう言って、男性看護師の言葉に、ハッキリと拒絶の意を示した凛さん。
男性看護師が、あろうことか舌打ちをしながら凛さんの前から去っていく。
涙が零れそうなのをこらえていると、凜さんが来た。
「ごめんなさいね、理名ちゃん。
嫌な大人はいなくなったから、ご飯食べに行こうか」
そう言って、病院の外のレストランに連れて行ってくれたのだった。
その時、優しい眼差しで、私の鞄に母が握らせた1000円札をしまうと、凜さん自ら私のお子様ランチ代を払ってくれたこともきちんと覚えている。
そんなことを思い返しているうちに、眠ってしまったらしい。
凛さんは、医師なのに、看護師並みに人に細かい気配りが出来る人だった。
気付けば、ヘリの中ではなく研修センターの伊藤先生の部屋のベッドに寝かされていた。
麗眞くん、伊藤先生、相沢さん、南さんが心配そうに私を見下ろしていた。