相沢さんは、研修センターを出て歩き、嬬恋プリンスホテルに何食わぬ顔で入ると、エレベーターの上ボタンを押した。

「あの、相沢さん、でしたよね?
なぜ、ここまで?」

「なるべく、研修センターの受付のお方や他の生徒の方に勘づかれないように、です。
気づかないとは思いますがね。
椎菜さまのお友達以外は。
ですが、念のため、です」

伊藤先生のパンプスの靴音のスピードがまた少し遅くなったのを気にしながら、相沢さんと麗眞くんについていく。

きっと、夢物語だと思っていた執事の存在に驚いた、そんなところだろう。

嬬恋プリンスホテルの屋上には、既にヘリが停まっていた。


「お疲れ様、そして、大変お久しぶりでございます。
麗眞坊ちゃま!」

麗眞くんに向かってビシッと敬礼するパイロットさん。

「お久しぶりです、お元気でしたか?
南さん」

パイロットさんと会話しながら、抱え上げている救急車にある担架のような造りのものに彼女を寝かせる。

南さんと呼ばれたパイロットの人が、椎菜ちゃんの胸付近を避けて固定する。

「すごい」

「彼はドクターヘリのパイロットも務めたことがあります。
そのため、多少は知識をお持ちなのです」

 相沢さんが、私に耳打ちしてくれた。
いやいや、人脈広すぎでしょ……

伊藤先生が所在なさげにうろうろしている。

本来の仕事を、有能なこの人たちに取られてる形だから、ある意味仕方ないけれど。

「相沢さん、このパイロットさん、流生総合クリニックの場所、知ってるの?」

相沢さんに小声で尋ねる。

「もちろんでございます。
理名様」

もしかしたら、私の母のことも、何か聞けるかもしれない。

母親についていって、病院から追い出されたことが何度かある。

それほど、母は仕事に厳しかったから。

後ほど、そのことについては聞いてみようと思っていると、相沢さんにシートベルトを締めるように言われた。
着陸するらしい。

ふと窓の外を見ると、1人の女性が、ヘリに向かって手を振っていた。

母の同期である医師の(りん)さんだ。
 
……私が学校の宿題である社会科見学の際、実際に聴診器を握らせてくれた、その人である。

母が仕事の時は、代わりに私を食事に連れて行ってくれたりもしたことを、よく覚えている。

相沢さんを先頭に、椎菜ちゃんを抱き上げた麗眞くんが降りる。

椎菜ちゃんは、先程より心なしかぐったりしている。

その次に私がヘリから降りた。

「理名ちゃん?
お久しぶり。

まぁ、しばらく見ない間に大きくなって。
鞠子さんに似てきたわね。
目の辺りとか、特にそっくり。

さっきの電話の時の口調もね。
一瞬、鞠子さんかと思ったほどよ」

「ありがとうございます」

今は、思い出話に花を咲かせている場合ではない。
一目、椎菜ちゃんを一瞥した凜さんが、彼女を手早くストレッチャーに乗せて、少し広いエレベーターに運ぶ。

「貴方たちは左のエレベーターで来てね。
1階が受付よ!」


それだけ言って、閉まりゆく扉に阻まれて凜さんの姿は見えなくなった。
私たちも、凛さんに言われた通りのエレベーターに乗る。

「ね、理名ちゃんがさっきのスタッフさんと親しかったところを見ると、この病院って、そういうことだよね?」


さすが麗眞くんだ。
何もかも、勘づいていた。
凜さんを「スタッフ」と呼ぶところも、さすがである。

「そう。
私の母が、元気で働いてた時に働いていた病院なの、ここ。

わたし、たまに母にくっついて行って、近くで母の看護師仕事ぶりを見てた。

看護師や医者には、子供を遊びに来させる場所じゃないって、母が非難されたり、白い目で見られたりしてたけど。

それでも、先ほどの凜さんだけは、私に優しく接してくれた」

私が少し昔の記憶に浸ったところで、エレベーターが受付のある階に到着した。
受付の人と私の目線が合ったため、聞いてみることにした。

「あら、鞠子さんの娘さん?
懐かしいわね?」

「お久しぶりです」

そう返すしかなかった。
受付の人の顔まで、さすがにハッキリと覚えてはいない。

「貴女はまだ小さかったもの。
覚えていないわよね。

エスカレーターで3階に上がって。
それからは、案内を見ればわかるはずよ」

「ありがとうございます」

「いつか、病院内でお会いしましょうね?
医師になった貴女と、一緒に仕事が出来る日を楽しみにしてるわ」


にっこり笑って、手を振られた。

そんなに、私は母親そっくりなのだろうか。
まぁ、母にそっくりだと言われるのは、嫌ではない。
むしろ、嬉しいことだ。

母の面影を追って、この道に進むことを決めたのだから。
……後悔はない。


エスカレーターで3階に上がって、病院内を歩くと、嫌でも思い出す。

母が亡くなった、あの日を。
知らせを学校で聞いて、タクシーでこの病院に向かった、あの日を。

 タクシーの運転手の問いかけになんて一切答えないまま、必死に泣きそうなのを堪えて凛さんの案内で、病室に向かった。
心臓の高鳴りを必死に静めながら、母の顔にかかっている布を取る。

……まるで、眠っているみたいに。

今にも目を覚まして、おかえり、って微笑んでくれそうだったのに。

安らかな死に顔だった。

その記憶を、頭を振って、脳から追い出す。

こんなことは、今思い出してはいけない。
思い出すかもしれないのに、頭に浮かんだのはこの病院だった。
他にも、冷静になれば当てはたくさんあった。

それは、きっと、この思い出から、逃げてはいけないと思ったからだろう。

「今は、レントゲンの結果を早急に出しているところみたい。
病室近くのソファーに座って、待っているといいわ」

私の記憶にはいない看護師さんに、ソファーに座るように案内された。