「なんだよ相沢。
碧ちゃん、気に入っちゃった?」

「何をおっしゃいます、麗眞坊ちゃま。
私は、既に、幼少期から気に入っているご婦人がおります」

「なんだよ、冗談の通じない奴」

声にならない笑みを浮かべて、主の冗談をかわす相沢さん。

年上の余裕、っていうやつだろうか。
確かに、彼なら、私たちみたいな女子高生は相手にしないはずだ。
相手にするなら、アラサー女性くらいの年代だろうか。

そのことを、当の本人も、その主人も分かっているのか、いないのか。
淡々と会話を進めていた。
 
次は、椎菜ちゃんの家だろうか。
そう思っていた。
しかし、それは思い込みだということにすぐに気付くことになる。


「さ、相沢、頼んだ」

「わかっておりますよ」

車は、私の家なんてとっくに通り過ぎて、建物がいくつあるのかと思うくらい立派過ぎる敷地の家に停まった。
 
敷地がデカすぎる。日本にあるドーム球場、とまではいかなくても、ちょっと名の知れた競技場くらいなら、すっぽり入ってしまうんじゃないか、と思うくらいだった。


ここ、もしかして……もしかしなくても……


「ようこそ、宝月家へ。
理名ちゃん」


ああ、やっぱり……
麗眞くんの家、なんだ。

予想外すぎて、乾いた笑いしか出てこない。

私が、あのメールを受け取った時点で、私たちを家に帰さないことまでは、何とか予想が出来た。
でもまさか、私を家に泊めるなんて、予想の範疇を超えていた。

でも、なんで深月ちゃんや碧ちゃんは呼ばないで、私だけ?

その疑問は浮かんだが、気にすることではないだろうと思った。
彼女たちは、私とは事情が違う。
もちろん、これは隣にいる椎菜ちゃんや麗眞くんも同じなのだが。
彼らは、きちんと「両親」が健在で、幸せな家庭環境にある。

私は、そうではない。
片親だし、「幸せな家庭環境」とはとても言い難い。

今日だって、健康診断終わりに食したのはサンドイッチ2つだった。
多少自分の身を犠牲にしても、家計は切り詰めなければならない。

そんな私を、案じてくれたのだろう。

「どうぞ、お入りくださいませ」

麗眞くんの執事の相沢さんは、重そうなドアを深月ちゃんとは違って軽々と開けて、玄関のこれまた重そうなドアを何食わぬ顔で開ける。
そして、家主の麗眞くんより先に私と椎菜ちゃんを招いた。


「お邪魔します」

そう言って先に入る椎菜ちゃんにつられて私も玄関に上がる。
家に足を踏み入れると、ホテルのロビーラウンジのような空間が広がっていた。
それにただただ圧倒され、言葉が出てこなかった。


どこぞの映画スターやセレブ歌手の家かと思うほど、広い玄関ロビーだ。
ホテルの受付みたいに、髪を後ろで束ねた20代半ばくらいのお姉さんと、40代くらいの渋いおじさんが立っている。

何かあったら、彼女たちに尋ねればいいのだろう。
こんな家を、よくこの日本に建てたなぁ。

「皆ここに驚くんだよね。
そんなすごい?」

いやいや、麗眞くんにとっては普通でも、私たちパンピーには全然普通じゃないんだって!

「さぁ、麗眞坊ちゃま含め、皆さんお疲れである上に空腹のようですので、どうぞこちらへ。
皆様でお食事に致しましょう」

ええ?
いいの?
家にあげてもらった上に、ご飯までご馳走になるなんて!

執事さんが漆塗りのドアを前に引くと、昔の外国映画で見たような大きな長方形のテーブルと10cmくらいずつ間隔を開けて、几帳面に並べられた椅子があった。

テーブルには、生まれてこの方食したことがないような、豪勢な料理が並べられていた。

私と椎菜ちゃんが隣に座った。
椎菜ちゃんの右隣に座っていた20代前半くらいの女性が、ちらと私を見やって、言った。

「あら、麗眞。
珍しいわね。
貴方が椎菜ちゃん以外の女の子を、連れてくるなんて」

シャンプーのCMに出てきそうなほどの、茶色いサラツヤロングヘアーの女性。
しかも、出るところの出たスタイルの、美人さん。
彼女が麗眞くんに目を向けてタメ口で、名前を呼び捨てで話しかけている。

「たまにはいいだろ。
いちいちつっかかるなよ、姉貴」

え?
ええ?

麗眞くんの、お姉さん?

やっぱり、イケメンの姉は美女って相場が決まってるのね。


「こんばんは、彩さん。
お邪魔してます」


「あら、椎菜ちゃん、ごきげんよう」


椎菜ちゃんに彩さんと呼ばれたその女性は自分の弟が座ったのを見届けると、ナプキンを長方形にして、膝に掛けた。

私も、見よう見まねで掛けたが、どうやら折り目を奥側にして掛けてしまったようで、そっと椎菜ちゃんが直してくれた。
そのごたごたを気にしていない風に微笑んで、見逃した女性が、気をきかせて私に声をかけてくれた。

「ごきげんよう。
私の名前は宝月 彩《ほうづき あや》よ。

えっと、貴女のお名前は?
そういえば聞いてなかったわね」

「岩崎 理名です。
麗眞くんと椎菜ちゃんのクラスメイト、です」

「あら、そう。
私の愚弟をよろしくね?
ああ見えて、友達には真面目で誠実だから」

想像より少し高い声の、綺麗な二重まぶたの女性だった。
話によると、彩さんは高ランクの経営学部を出て、留学先の大学で心理学も少し学んだのだという。

経営が立ち行かなくなった企業や倒産寸前の企業を支援したり、業績のいい会社のコンサルタント等もしているらしい。

いずれはこの家、継ぐのかな……


食器を外側から使っていくことにも慣れない。

スープを飲む際に少しだけ音を立ててしまったり、ナイフとフォークを落としてしまったり。散々だった。

けれども、執事さんの気配りは私だけに向いていたのかと思うくらい、スマートに拾ってくれたりもした。

こんな超がつくほどの庶民が、こんな場にいていいのかという後ろめたさも、この場にいる皆の温かさのおかげか、食事を終えた頃にはなくなっていた。

「あ、理名ちゃんもせっかく来てくれたし、泊まっていけばいいわ。
世界中のどこのホテルよりサービスいいわよ、ウチの屋敷は」

そこまで言われては、無下に断れない。

断ったら、今後、麗眞くんというただ1人の男友達を無くす恐れがある。
それだけは、なんとしても避けたい。

「では、お言葉に甘えて、今夜だけお世話になります。
よろしくお願いします」

初めてだ。
男の人の家に泊まるなんて。
というか、ろくに男の子の家どころか、友達の家にさえに泊まったことがないのに。

初めてのお泊まりが、こんな、日本のようで日本じゃないところで、いいのだろうか。