鳥のさえずりと空の眩しさで目を覚ました。
枕の脇に置いたスマホで時間を見ると、朝の7時だった。
空の色と同じ青いカーテンを開いて、窓を開ける。
眠い目をゴシゴシ擦りながら、リビングに降りた。

「理名、おはよう。
もう俺は仕事に行くからな。
行ってきます」


「いってらっふぁい……」


まだ脳が起きていないことは誰が聞いても分かるであろう、言葉になっていない声を発する。

玄関口の父に向かって小さく手を振った。

水を飲もうと冷蔵庫からミネラルウォーターを出す。
コップに注いで飲み干して、空になったそれをシンクに置いて気付いた。
父が朝食を食べた形跡がないのだ。
コンビニで何か買って食べるのだな。
不摂生はやめたほうがいいのに。

歌うような電子音が、私の思考を止めた。
ご飯が炊けた合図だ。
炊きたてのそれを器によそって、お湯を沸かした。
インスタントの味噌汁と緑茶を注ぐのに使うためだ。
テレビから流れてくる、さほど興味のない芸能情報やらニュースをぼんやりと聞きながら朝食を胃に流し込んだ。

時刻はこの時点で7時25分を示していた。
制服に着替えて歯を磨きながら髪を溶かし、手早く青いアイシャドウと黒いアイライン、マスカラで化粧をする。
電車に間に合う、いつもどおりの7時50分に家を出た。

電車に乗りながら、今日の予定を確認した。
今日は健康診断と教科書販売だ。

この時期になると、毎年必ず行くように言われる。

私立の学校らしく、わざわざメールアドレスにまで、健康診断のお知らせを通知する。
正直、ウザい以外の言葉が見つからない。
行く人は行くし、行かない人は、何を言っても行かないのだ。

オリエンテーション前に健康状態を確認しておくように、らしい。

どうやら、厳正にデータベースによって、受けた人とそうでない人をチェックされているようだ。
行かなければオリエンテーションへの参加を許可してもらえないようである。
行くしかないのだ。

変なところに予算かけてない?
この学園。

学生証を各々カードリーダーに通して、階段をあがった先にあるだだっ広い部屋で尿検査を終える。
次はパソコンで朝食を食べる頻度や、持病の有無などをパソコンで答える形式の健康チェックを、ダルそうな表情で入力する。


「はーい、健康チェックが終わった人は、こっちの部屋でX線検査ねー?」

看護師さんに誘導された先では、温泉の脱衣場のような光景が広がっていて、籠の中には薄いピンクの服があった。

「ブラジャーとネックレスとか時計とか、アクセサリー類を外してからこのピンクの検査着着てねー?」


看護師さんの指示で、なるほどと思った。

「なんで外すのー?
下着可愛くないし、スタイル良くないから脱ぎたくないんだけどー」

不平不満を言いながらも、皆なんだかんだで着替えている。

「金属のものを少しでも身につけていると、白く影になってレントゲンに写ってしまうの。
影が病変と重なって診断出来なかったり、誤診を引き起こしたりするのよ。
看護師と患者の双方にとってデメリットしかないから、なるべく薄着になるの」

「へぇー!
理名ちゃん、よく知ってるね!」

碧ちゃんがコホコホ咳き込みながら言う。
X線検査で何も問題がなければいいのだが。
咳き込む彼女が一番心配だ。

「お母さん、看護師だったからね。
たまに、母にくっついて病院まで行ってたの。
その知識の受け売り」

「さすがだね、それなら納得。
将来は理名先生に診察お願いしようかな」

椎菜ちゃんがそう言う横で、深月ちゃんが険しい顔をしていたことになんて、これっぽっちも気がつかなかった。

この時から、彼女は聡かった。
それが証明されたのは、宿泊学習の後のことになるなんて、当の彼女でさえも、分からなかっただろう。

撮影を終えて、私が着替え終わると、碧ちゃんも深月ちゃんも椎菜ちゃんも、外に出ていた。


次は血圧測定と身長、体重測定だ。
血圧測定の時、平均より上の値が少し高いと言われた。
そういえば、父親が昔から血圧が高いとよくぼやいていた気がする。
遺伝なのか。
受け継いでほしくないところまで、受け継いでしまった。

「まぁ、遺伝もあるからね。
まだ若いしあまり気にしなくていいわよ」

そう言われた。
まぁ、そうよね。
看護師の娘として、それくらいのことは分かっている。

それよりも、健康診断のこれだけの学生をさばいている人の手腕に、惚れ惚れしていた。
いつか、私も、こんなふうになる。
……その決意を、改めて胸に秘めた。

身長と体重の測定を終えて、皆で教科書を買いに行った。
それを終えて、皆の鞄が重くなった頃、麗眞くんの案内でいつか私と椎菜ちゃんが話した公園前に集まった。

麗眞くんが言い出したのだ。
何でも、紹介したい人がいるのだという。
集まって1分も経たないうちに、私たちが公園に着いたタイミングで黒くて長い車が停まった。

これ、もしかしなくても、リムジン……ってやつ?
こんな豪華な車を見たのは、生まれて初めてだ。
「ん?」

運転席の男性と麗眞くんが仲良さげに話している。
そして、おもむろに運転席側のドアが開いた。

麗眞くんよりも少し身長の高い、春だというのに暑苦しい、黒い燕尾服を着た黒髪で細身の男性が顔を出す。


「お疲れ様でございます、皆様。
お荷物が多く、かなり重いとお見受け致しました。
皆様のご自宅付近までお送りいたしましょう。
私、麗眞坊ちゃまの執事の相沢と申します。
以後、お見知りおきを」


ここで私は、前に椎菜ちゃんが話した、麗眞くんがお坊ちゃまだということが、都市伝説なんかではなく、真実だったことを知った。

執事がいるなんて、到底信じられなかった。

どんな夢物語よ。
ここ、中世ヨーロッパとか、現代のイギリスとかアメリカとかでもなくて、れっきとした日本なんだけど……。