『平井先生?』

放課後、パソコンに向かって、ぼんやりとしていた私は、その声にハッと顔をあげる。


『あぁ、桜井先生…』

急いで立ち上がると、一瞬ふらりとして、慌ててデスクにつかまった。

『平井先生!?大丈夫ですか!?』

桜井先生が駆け寄って、ソファに座らせてくれる。


『すみません。ちょっとした貧血です。大丈夫ですから』

『…平井先生、ちょっと痩せましたね』

桜井先生の心配そうな声に、私は少し笑う。

『桜井先生、それセクハラになりますよ』

『ごまかさないで下さい。本当に大丈夫ですか?』


桜井先生も、こんな真面目な顔をすることがあるんだ。
なんて、失礼だな、私。


『本当に大丈夫です。すみません』

『いや…そうならいいんですが…』

『なにか、私にご用でしたか?』


桜井先生はまだ心配そうに私を見つめたまま、

『実は平井先生にお礼がしたくて来たんです。よかったら、今日ご馳走させてください』

という。


私は桜井先生の顔を見つめた。
日に焼けた顔も、キリッとした眉も、奥二重の目も、薄い唇も。
この人は渋谷くんに似ていない。
この人は渋谷くんじゃない。


どうでもいい。
何もかも、どうでもいい。

渋谷くんはいない。

他のやつに笑いかけないでよ。さわらせないでよ。

その約束も、守らないでいい。


渋谷くんは、今ごろきっと、松原さんといる。
私にしたみたいに、優しく目を細めて、松原さんを見てるんだ。


『いいですよ』

そう言うと、桜井先生に向かって、にっこり微笑んだ。