だから、養護施設に入ることが決まったとき私は嬉しかったし救われたとさえ思った。






実際は、母方の両親がかなりの資産家で私はすぐに引き取られたから1週間もいなかったんだけどね。







再婚するまでは、たまに会っていた祖父母は目に涙をたくさん浮かべて謝った。






「 誰も悪くないよ。 」





そう、若干10歳にして私は笑って言ったらしい。





その言葉と笑顔に、どれだけ救われて、どれだけ申し訳なくなったかわからないと祖父母は14年経った今でも言っている。







聞けば、再婚に大反対した祖父母と母は縁切状態にあったみたいで。





資産家の祖父母の支援をあてにしなかったのは、病んでしまった母の唯一のプライドだったのかもしれない。








そんな、おじいちゃんおばあちゃんに私は激甘に育てられた。








美容室もエステも、ジムも。




小奇麗で実年齢よりも遥かに若くみえる祖母に連れられて、よく行ってたし。





所謂セレブの街、銀座なんて小学生のうちに庭みたいなものになっていた。






銀座まで新幹線と鈍行を使って1時間以上かかるのに。





本当によく行ってたな。






今では、少し笑えちゃうくらい嫌味な小学生だったと思う。