散歩と称して家を出た。駅前の目的地まで、距離にして約1km。若い者ならともかく、八十近い私の足では、結構な長距離になってしまう。
片道をゆっくり三十分以上かけて歩いても、着く頃には膝はかなりガクガクだ。
「年は取りたくないが、こればかりは誰しも皆平等か…」
ボヤきながら辿り着いた門扉は、きれいに塗装が塗り替えられていた。門柱の壁には、木の看板が取り付けられ、名称が掲げられている。
『ほのぼの園』
「ほぉっ…なかなかいい書だな」
感心しながら中へ入った。庭先のアプローチは車椅子の通れる幅が確保され、セメントで塗装されている。
それ以外の所には芝が植えられ、まるで公園のように整備されていた。
園舎の脇に立つイチョウの根元にはベンチとテーブル。
四季折々の変化も楽しめるようにとの配慮だろうか。
「…昔とは大違いだな……」
かれこれ五十年ぶり…いろいろと変わる訳だ。
思いに更けながら園舎まで歩いて行った。玄関の戸を開けると、入ってすぐの右手にある事務所から、中年女性が出て来た。
「こんにちは。いらっしゃいませ。ご見学の方ですか?」
年頃で言うと五十代後半といった感じか。
「はぁ、あの、新聞のチラシを見て来ました。昔、子供がこちらの保育園に世話になってましたから、懐かしくなりましてね。中を見せてもらってもよろしいですか?」
私の言葉を聞き頷くと、女性はどうぞどうぞと、スリッパを差し出した。
「ワックスを塗ったばかりで、滑りやすくなっておりますので気をつけて」
そう言うと、来局用のノートに記帳を…と持って来た。
上り口に作られた応接セットに座り書き記す。
「結構多くの方が見学に来られますか?」
新し物好きの人間の多さを確かめるように聞いた。
「ええ。この辺りは待機児童の方が多いみたいで、認可保育園や幼稚園の待機者の方が、毎日十件近く来られます。後はお客様のように、ご年配の方で、デイサービスに興味を持たれてる方ですとか、役所関係の方ですとか…様々です。あっ、ご記帳頂き有り難うございます」

ノートを受け取り、名前を確認した女性は、あら…と声を出した。
「西村孝一(にしむら こういち)様…って、もしかして、第三小学校で教師をされていませんでした?」
伺うように顔を見られた。
「そういうことをやっていた時代もあります。よくご存知で…」
照れながら話すと、女性は嬉しそうに声を上げた。
「やっぱり!西村先生ですね!私、四年生の時の教え子で松田千野(まつだ ちの)と言います。お久しぶりです!」
手を取って喜ばれた。
「ああ、そうそう。名刺名刺!」
すっかり忘れてたわと声を弾ませ取り出す。差し出された名刺には、『管理者』と役職が書かれてあった。
「ここの園長と管理者をさせて頂いております」
きらきらと目を輝かせている。顔に覚えはないが、先生と言われたのは嬉しかった。
「私、先生に教わったの、丁度五十年前です。その頃、先生はご結婚されたばかりで、第三小に赴任して来られて、初めての担任が私達四年二組でした」
「そうそう。…そう言えばそうでしたな…」
結婚してすぐに親と同居を始めて、地元の小学校に移らせてもらったんだ。四年二組…確かにそうだ。
しかしながら、松田という生徒がいたかどうかまでは思い出せない。潔く謝ると、仕方ありませんよと笑われた。
「一クラス四十名くらいいたんですよ。覚えてなくて当然です!」
ノートを置くと、松田さんは私を連れて館内を案内し始めた。
木造園舎のあちこちから、木の良い香りが漂っていたーーー。