でも、誰が?
何のために。
どんなメリットでそれを話したのだろう。
しかも、この時期で。
私への嫌がらせか、それとも…
ガチャ
ドアの開く音に、彷徨っていた思考が戻る。
「櫻田さん。」
心の準備が全く出来ていなかった。
そのせいで、名前を呼ばれた時、微かに震えが走った。
「椿井、さん…」
厚化粧のお局、椿井静華が、厳しい表情でそこに立っていたからだ。
腕組みが固くなるのを堪え、なんとか解いた。
「今日はもう帰るの?」
「あ。。はい…」
定時はとっくに過ぎていたし、憲子も今日は出先で直帰になっていた。
その上会社は今、ものすごく居心地が悪い。
「…そぉ…お疲れ様。」
椿井が、噂を知らないわけがなかった。
私は帰り支度をすることもできず、突っ立ったまま。
口の中はカラカラだった。
そんな私を余所に、椿井はさっさと身支度を整えると、高そうなバッグを肩に掛けた。
「お先に。」
「お疲れ様でした!」
更衣室を後にしようとドアノブに手を掛けた椿井に頭を下げると、椿井の動きがぴたりと止まる。
「…私は、お兄様本人から聞いたから、噂は真実ではないと思っているわ」
「え…」
思いもよらない言葉に顔を上げた時には、パタンとドアが閉まった音だけがして、椿井はいなくなっていた。