何十分か、それとも何時間か、正確には分からないが、それぐらい長いような短いような曖昧時間だった。
「うん。上出来。」
明日香さんが自慢気に、僕の髪を引っ張りながら言った。
「ちょっと待ってろ、あのアホ呼んでくる」
「あ、はい…。」
買い出しに行ったまま帰って来ない千晃に苛立ちを隠せない様子で、明日香さんは部屋を出て行った。
「……。」
グイッと身を乗り出して、大幅に短くなった自分の髪を鏡で何度も確認する。
千晃よりも襟足が少し短くて、前髪はワックスで無造作に上げられている。
これがオシャレな上げ方なのかもしれないが、どうにも僕には無造作に見える。
相変わらずの癖っ毛で所々ピョンッと元気よく跳ねている髪を押さえ付けながら、
「僕じゃないみたいだ…。」
そう呟いてみた。
毎日見飽きている筈の自分の顔なのに、髪型が変わっただけで、まるで他人と入れ替わった気分だ。
僕の顔が他人の顔のように思えて、マジマジと見ているのが少し気恥ずかしくなった。
それでも何故だか鏡から目を離せなくなっていて、何度も髪を引っ張ってみた。
もう、どんなに引っ張っても目に掛かることのない長さの前髪に多少の不安を抱いた。
「ごめ…て!ちょっと……けじゃん!」
「うる…い。」
扉の向こうから千晃と明日香さんの声が聞こえて、僕は慌てて鏡から離れた。
「どうせまだ終わんないだろなーって思っ……。」
言い掛けて、僕と目が合った千晃は目を見開いた。
単純に驚いているのか、似合わないと思っているのか、どちらとも取れる千晃の表情に僕は視線を逸らした。
「…感想くらい言ったらどうだ。」
痺れを切らしたように明日香さんが千晃をつつくと、千晃は瞬きを数度繰り返した。
「誰かと思った…。」
千晃なりの褒め言葉らしい。
ぱちくりと瞬きばかりを繰り返す千晃を見て、明日香さんは少し嬉しそうに笑った。
「どうだ?少しは見直したか?お前のお姉さまはスゴいんだからな。」
「…知ってるよ、そんなこと。」
「ん?」
ボソッと呟いた千晃に、明日香さんは聞こえなかったと聞き返すが、千晃は「なんでもねーよ。」とそっぽを向いた。
その時、たぶんお店の人が入ってきて明日香さんを呼んだ。
「私、今日休みのはずなんだけどー」という明日香さんのグチは軽く受け流されながら、嫌がる明日香さんは店の方へと連れて行かれてしまった。
「…やっぱ、敵わねーな。クソ姉貴にゃあ。」
「誰も敵わないよ。明日香さんには。」
悔しそうに呟く千晃に、慰めのつもりで言うと、千晃は、
「それもそうか。」
自嘲気味の笑みをこぼしながら、ソファーに腰かけた。
「どう?切った感想は。」
「まだ実感ないかな。なんか知らない人の顔みたいで少し落ち着かない。」
「でも、切って良かったろ?」
「…うん。まだ外見だけだけど、少しは変われたような気がする。」
「そりゃ良かった。ついでに眼鏡も外したらどうだ?」
千晃は、自分の指で丸を作って、それを眼鏡に見立てながら言った。
『眼鏡ない方がカッコ良い』という河本さんの言葉を真に受けて髪を切ったのは切ったけど、眼鏡までなくすのはまだ怖い。
世界がクリアに見えすぎていて、余計に周りの目が気になりそうだ。
「眼鏡は流石にまだ怖いよ。まぁ、それは日曜日にでも考えるから、月曜日の楽しみにしといて。」
「お前の眼鏡もオシャレなヤツならイイけど、本当のTHE眼鏡!って感じがするからな~。何て言うか、ダサいよな」
「うっ…そんなの言われなくても分かってるけどさぁ…。」
「眼鏡は優希の唯一のアイデンティティーだもんな。」
「人を眼鏡だけの人間みたいに言わないでよ!」
「そんな怒んなって~。ほれ、お前の最初の1歩におめでとうの記念品。」
「記念品って…」
千晃が机の上に置いたのは、千晃が買い出しに行った烏龍茶。
千晃は明日香さんに買ってきた筈のコーヒーを開けながら「いらないんなら俺が貰うけど。」と烏龍茶を隠す真似をする。
「いるよ。いります、くださいー。」
肘掛けが片方ない椅子から離れて、千晃の向かいの椅子に座る。
ほれ、と千晃に渡された烏龍茶は少し温くて、この蒸し暑さのせいだな、と改めて夏の暑さを感じた。
