連れていかれたのは〝 Staff only 〟と書かれた扉の奥で、入って良いものか、と僕は迷ったが、明日香さんの早く入れと言わんばかりの視線に慌てて入った。
中は少し薄暗い廊下が続き、その脇にあった休憩室を通り越して更に奥、事務室と書かれた部屋に案内された。
部屋の中央に構えるテーブルに、その脇に鎮座する古ぼけたようなソファ。
よくドラマで見る社長室のような机と椅子が妙に異彩を放っていて、それがよく目を惹く。
そんな机の上や、部屋の壁に寄り添うようにして置いてある棚の中にも、たくさんの書類と思わしき紙が積み重なっている。
他の店の事務室に入ったことがないので基準は分からないにしろ、少なくともここが、お世辞にも綺麗とは言えない部屋だということは分かった。
「まーた、事務室汚くなってね?明日香の私物ばっかじゃん。」
千晃に言われて、明日香さんは不服そうな顔をしていたが、確かに仕事では到底使わないと思われるものがゴロゴロしている。
うろこはぎとか、どの場面で使うんだコレ。
明日香さんはそんな私物の中から肘掛けが1つ行方不明の椅子を引っ張り出した。
「座って。」
短くそう言われて、明日香さんの前に置かれた椅子に座る。
向かいには小さな簡易的な鏡があって、本当にそれだけ。
「髪洗わねーの?」
「めんどくさい。」
そういう感じなのか、と心の中に積もる不安を振り払う。
後ろからかけられた布で周りの埃が少し舞い上がった。
「どういう感じで切れば良い訳?」
明日香さんは、僕に聞かずに千晃に聞いた。
たぶん、主導権を握っているのは千晃だということに気付いているのだろう。
「んー。明日香に任せるよ。」
「良いの?私バッサリ行くよ?」
「優希に似合えばそれで良いよ。あ、色は変えないでね。」
「高校生が染めるなんざアホだ。ピアス開ける奴もアホだがな。」
「わーお、俺そのアホの条件2つともクリアしてらぁ…。」
髪を茶色に染めて、ピアスの穴を開けている千晃を狙った的確な攻撃。
「このアホに勝手に進められてるみたいだけど、良いの?後で何か言ってきても責任とらないからね?」
最後の確認と言うように明日香さんが訊ねる。
「あ、はい…大丈夫です、…たぶん。」と、曖昧な僕の返事を気にする様子はなく、早速ハサミを取り出していた。
「んじゃ、切るよ」
「はい…。」
チョキチョキと何の躊躇いもなく切られていく髪が惜しい。
時々、悩むようにハサミを止める明日香さんの顔が鏡越しに見える。
悩んでいる時の真剣な表情は、少しだけ千晃に似ている。
そんな風に思って見ていたら、明日香さんと目が合って僕は咄嗟に俯いた。
それと同時に髪を切る明日香さんの手が止まったのが分かった。
「…千晃、ちょっとコーヒー買って来い。」
「えー?店員に頼みなよー」
「今お前の為に、無償、で髪を切ってやってるのは誰だ?」
無償を嫌に強調した、有無を言わさぬ明日香さんの物言いに千晃は、「むぅ…。」と唸った。
「しゃーない…。ブラックで良いの?」
「ああ。」
「優希は烏龍茶とかで良い?ついでだから買ってくるよ。」
「うん。」
「…はぁ。行ってきまーす」
最後に溜め息を1つこぼして出ていった千晃が帰って来るまで、僕と明日香さんの2人っきり。
無言を貫く気まずい空気にはなるのはまず間違いない、
「モサ男。」
――と思ったのだが、いきなり明日香さんから話しかけてきた。
それに驚いて、ビクッと体が揺れた。
「何も、そんなに驚くことないだろ…。」
「…す、みません。」
自分でも少し恥ずかしくなってつい謝罪の言葉が口をついた。
「お前が謝る必要も……いや、悪いな。うちの愚弟が無理矢理連れて来たみたいで。」
「え?」
「お前、さっきから名残惜しそうな顔してるだろ。本当は切りたくないのに愚弟の押し付けを拒めないんじゃないかと思ってな。」
なんだか申し訳なさそうに言う明日香さんを見て、あぁ…、優しい人だな、と思った。
千晃にそっくりで、周りを見ていないようで見ているし、他人のことを気にしてないようで気にしてくれている。
愚弟愚弟と言いつつも、こうして千晃のフォローをしている。
これが姉弟ってもんか…。
