弱虫男子




キャンパスを小脇に抱えながら帰ってきた僕を見て、母さんは「また家でも絵を描くの?できたらお母さんにも見せてね。」と優しく微笑んだ。

昔から変わらないその微笑みから、母さんの口にはしない想いが伝わってくるようで、僕は頼りない声で、「うん。」と短く答えることしか出来なかった。

僕は部屋に入ると、ベッドの隣――部屋の一番奥に置いてある、無機質な色の布を纏ったキャンパスに近付いた。

去年布を被せたそのキャンパスを、約1年振りに拝むために、僕は布をとった。

布の中から現れたのは、海底を描いた絵。
キャンパスの縁からその中央に行くに従って、同じように見える海の色は少しずつ黒くなって行き、ジッと見つめていると引き込まれそうになる。

海の奥底には何もない。
ただただ広がる海の色。

描いたときは好きだったこの絵も、今は、美術と同じくらい大嫌いだ。
僕の真っ黒な心を写しているような、そんな変な気持ちになる。

昔から海を描くのが大好きだった。
見る度にその表情を変えて、僕の綺麗な一瞬になる海が大好きだった。

人間がどんなに戦ったって勝てない強さも、夕日に照らされると少し悲しげに波打つ儚さも、僕の心を落ち着かせてくれる優しさも、全部を描くのが好きだった。

けど、もう海の絵は描かなくなった。
描けなくなった。

どんなに海を真似して描いても、それは僕が望むような絵にはならなかった。
じわりじわりと生まれる焦りからか、大好きだった海は、僕の瞳にはどんどん綺麗に映らなくなっていた。

海が綺麗に見えていた頃の絵は、それでも、僕の中の完成には程遠いくて、未完成こそが芸術だ、なんて無責任な偉い人の言葉が癪に障った。
だから、あんなに饒舌になっていたのかもしれない。

更に、部長と顔を合わせずらくなった、と今日の自分の行動に後悔しながら、ボフンッ、とベッドに背中から着地した。

チラッと、さっきよりも、だいぶ下からキャンパスを見やる。

どこから見ても、やはり綺麗ではない。
海だけを描いたものが綺麗な筈がないのに。

そんな海だけの僕の絵の右下には、〝大賞〟と書かれた紙が、今も張り付けてあった。

周りが、僕を天才だと囃し立て始めたきっかけにもなったその紙だけの称号をクシャッと丸めて、ゴミ箱に投げ入れた。
既にゴミとなった僕の称号は、ゴミ箱のふちに当たって、床に転がった。

相変わらずのノーコンさにはもう慣れたので、気にすることもなく、枕に顔を埋めた。