亜矢の腕の中は暖かく、子供の頃に母に抱かれて眠っていたときの、お日様の匂いに包まれているような、柔らかい、良い居心地だった。
少しの間、猫になってしまったのも悪い事ばかりではないなと思っていた。
でも、このままで良い訳はないのだ。どうにか人間に戻らなくてはならない。
特に解決策も思い浮かばずに、気がつくと、見慣れた道にさしかかっていた。角を曲がったら亜矢の家だ。
バックから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む、ドアを開け、猫になってしまった僕を、先に部屋に入れてくれた。
亜矢は、誰もいない部屋に向かって「ただいま」と、無感情に呟いていた。
僕は、いつも座っている、少し堅めのソファーに歩いて行き、そこに腰を落とした。いつもと変わらない部屋なのに、まったく違った部屋に感じた。匂いも、色も、ソファーの堅さも、この間来たときとは微妙に違って感じた。猫になってしまってから、五感が鋭くなった感覚がしていた。特に嗅覚が鋭敏になっていた。きっと、亜矢は今、僕の晩ご飯と牛乳を用意してくれているのだろう。みそ汁の匂いと、牛乳を注ぐ音が聞こえてくる。
「おいで」
キッチンの方から亜矢が呼んでいる。とことことキッチンに入っていくと、お皿に、猫まんまと牛乳が用意されていた。
まさか誕生日の日に猫まんまを食べることになるとは思ってもなかった。
お腹が空いていたし、喉が渇いていたので、贅沢は言ってられない。牛乳で喉を潤し、猫まんまをはぐはぐと食べた。やっぱり、少し味が濃く感じた。
本当なら今頃、お寿司を食べ終わって、夜景が綺麗に見える有名なデートスポットなんかに行き、シュミレーション通りにプロポーズをしていただろう。
食べている間中、亜矢はずっと僕の背中を撫でていてくれた。
一緒に迎えた朝、いつも先に起きる亜矢がしてくれる、それと同じ手の動き。僕の頬を優しく撫でてくれる、そのときと同じ手の優しさだった。
「ごちそうさま」の代わりに「にゃー」と満足そうに鳴いた。
亜矢は猫の僕を抱えると、ソファーに座り、瞳の中を覗き込んできた。
「おなかいっぱいになった?」
「にゃー」
「猫まんまでごめんね、明日キャットフード買ってくるからね」
そんな食べたことないもの要らないとばかりに、大きく「にゃー」と鳴いた。
「首輪つけてないから野良猫だよね、名前決めないとね」
「どんなのがいいかなー」
名前。
僕の『理』とゆう名前は、父方の祖父である、夏目誠司が付けてくれた名前だ。どんな思い、意味が込められてるのか、高校に入学した日の朝、母が僕に教えてくれた。
「お祖父さんはね、とても厳しい人だった。お姉ちゃんが産まれて、家に戻ってきたときに、次は男を産めって言われたわ。初産でやっとほっとしたところだったから、そんな事言われると思ってなかった。だから、あなたがお腹にいるって聞いたときに、お父さんより先に、お祖父さんに報告した。お祖父さんはなにも言わずに、命名、理、と大きく書いた紙を私にくれたの。その時からあなたは理なのよ」
「そうだ、COLORって名前どう?あんまりかぶらない名前だし、オシャレ」
「にゃー」
「そっかそっか、気に入ってくれたんだね!あなたは今日から、COLORだよ」
僕は今日、この時から『COLOR』とゆう名前になった。