遠足に行く前の興奮を抑えきれない子供の様に、葵の心は弾んでいた。パリまでの日々が、待ち遠しく、カレンダーには×印がつけられた。仁は仕事で頻繁に訪れているパリでも、彼女には初めて行く場所だ。ガイドブックを買い込み、チェックすることが日課になっていた。おかげでガイドブックは付箋だらけになった。



仁が仕事で一緒に観光を出来なくても、なんとか一人で旅が出来るようにと、しっかりと計画を立てた。

仕事柄、英語を多少は話せても、フランス語は全く分からない。話しは出来なくとも、今は便利なアプリがある。それを活用することにする。



パリに出発するまでの一週間は、殆ど久美と夜を過ごした。食事に行ったり映画を観たり、お酒を飲んだりと。寂しさを紛らわすための道具に使っていた。騒がしいことが日常茶飯事だった家庭に育ち、肩が付くくらいの狭い家で生活していた葵には、この広いマンションは、いまだに慣れない物の一つだ。少しの音も気になり、早く帰宅出来なかったのが本音だ。





「いいわ。奢ってもらうから」





と魔性の微笑で、食事を奢った。それも気分は悪くなかった。結婚するまで、バイトと仕事の掛け持ちで久美の誘いを断ることも多かった。何度も誘われては断って申し訳ない気持ちがいつまでも消えないでいたが、少し肩の荷が下りたかのような気分で気持ちが楽になった。そのことを久美に告げると、「そんなことを気にしていたの? 案外気にしいなのね」とさっぱりとした答えが返ってきた。他愛ない日常も、葵が遅く手に入れたものだ。



仁が用意したトランクを、リビングに広げたままで、ガイドブックとにらめっこしながら荷物を詰めた。仁の言っていたようにパリで必要になったものは買えばいいのだが、あれもこれもと詰めては出しと一向に進まない旅支度をしていた。





「あーもう、何が必要なのか分からなくなってきた」





ちらかしてしまったリビングを片付けながらも、旅行支度は、一人で過す夜は寂しさを紛らわしていた。。



やっと支度が出来たのは、出発の前日だった。結局、時間があれば迷ってしまうし、前日になれば必要な物が案外すんなりと決まる物だ。要は、面倒になってしまうという事だ。



葵は出発前日の夜に母、恵美子に電話を掛けた。





「もしもし、お母さん?」

『葵? 明日出発ね。用意は出来たの?』

「なんとかね。用意をするだけで疲れちゃった」

『旅行なんてそんなものよ。でも、一人で大丈夫?』





恵美子は、心配の声だ。





「飛行機に乗れば、運んでくれるし、向こうに着けば、タクシーに行先を行って連れて行ってもらう。簡単よ」

『そうは言っても、日本のタクシーと違うんだからね』

「わかってる、十分気をつけるから」

『パリに着いても連絡はしなくていいからね。一人の観光は気を付けて』

「ありがとう、お母さん」





結婚もして独立をしてはいても、こうして心配をされると、胸が締め付けられじんとくる。永遠の別れでもないのに鼻をすすってしまい、恵美子は笑った。



電話を切ると、急いていた気持ちも落ち着く。ここ何日かは、冷蔵庫の中をカラにする為に、買い物はしていなかった。小腹が空いたが、お菓子と水でお腹を満たす。この日葵は早くお風呂に入り、眠りに着いた。