「葵、びっくりするくらい広いわね。こんなマンション、芸能人のお家拝見くらいしか、見たことがないわ。お母さん、こんな所じゃ、怖くて寝られない」

「実は、私も」





初めて入る新居に恵美子は、田舎から出てきたおのぼりさんの様に、家の至る所を見て回った。まるでモデルルームを見ているようだ。





「ねえ、葵。部屋を掃除するのも大変だね」

「名波さんは、ハウスクリーニングを頼めばいいって言ってくれたけど、出来るところまで頑張るつもり」

「掃除だけでも、軽く一時間はかかるわね。手抜きをしなくちゃ」

「そうでしょ? あたし、冬は炬燵に入って手に届く範囲で全て出来る部屋の広さで良い……」

「あんた、面倒くさがりだものね……葵、お母さんね、生活は潤っていた方が良いに決まっていると思うの。お金は有って困る物じゃないから……でもね、本当に良かったの? お母さんももっと強く反対していればよかったわ。葵の性格を一番よく知っているお母さんが、葵の言葉を鵜呑みにするなんて」





恵美子は、泣きそうな顔をしていた。





「お母さん。あたしなら大丈夫。もちろん大恋愛の末に結婚するんじゃない。まだ、正直な気持ち、好きかどうかも分からないんだから。でもね、名波さん、凄くあたしを大切に思ってくれているの。それが良くわかるから、きっと大丈夫。幸せになれるから」

「お母さんは、葵が世界一幸せになってくれればそれでいいの」





恵美子は革張りのゆったりと寝られるほどの大きなソファに正座をして、葵を心配した。その姿に、葵は田舎の祖母を思い出す。





「ぷっ、お母さん、そうしているとおばあちゃんみたいだよ。ソファに正座なんて」

「え? 家が広すぎて、正座をしないと落ち着かないのよ」

「おもしろい」





たいした会話もしないうちに、業者は、荷物を運び入れるのも終わり、帰って行った。

恵美子と葵は窓から見える東京の風景を眺めた。





「葵。人生何が起こるか分からないものよ。名波さんの会社がどうにかなったとき、お父さんくらいの痛手では済まないわ。その時は、しっかりとあなたが名波さんを支えなさい。いざと言う時、男の人は頼りにならないものよ。いい? 肝を据えて頑張りなさい。分かった?」

「はい」





恵美子の言う通り、安定している会社を経営しているからと言って、安心は出来ない。何があるか分からないのが現代だ。言えば皆が羨む結婚だが、実はそうではないと葵が一番良く知っている。恵美子の話を神妙な顔で聞いた。





「葵、夕日が綺麗ね。名波さんが全てご用意してくださったから文句はないけれど、せめて葵に婚礼家具の一つでも持たせてやりたかったわ。もう済んだことだけどね」





窓から沈む夕日をみて、恵美子が考え深げにつぶやいた。