「怒らせてしまった……」





出勤した仁は、ぼそりと言った。朝から元気がなく、潤は聞かないまでも、その原因が分かっていた。デスクの前に立ち、予定を読み上げようとしていた潤は、飽きれた顔でため息を吐く。





「今まで、何も言われなかったことに感謝しろ。彼女が爆発するのも無理はない。俺が、何度もアドバイスしたよな? 女は、自分で決めていることでも、一緒に悩んで、聞いて欲しい生き物だって。結婚の後にゆっくりする時間が欲しいと願うのは、勝手だが、女にはそこに至るまでのプロセスも大事なんだよ」

「どうしたらいい?」

「知らない」

「突き放すなよ」

「怒らせたあとで、一生懸命になったって、彼女は、自分が言ったからだ。自分の意思でそうしたわけじゃないんだと、お前の思いを素直に受け取ることが出来ないんだ。だから今まで通りにすればいい」

「……」

「指輪も買った。結納も済ませた。後は式を待つだけだ。その後は、新婚生活が待っている。そこで挽回するんだな」

「……」

「仕事だ」

「ん……」





潤のアドバイスも、なんだか腑に落ちないような顔だが、仕事を始めなければならない。仁は、潤の読み上げる予定に耳を傾けながら、気持ちは葵に向いていた。

そのころ葵は、落ち込んでいた。





「なに? 朝からため息ばっかりで」

「ケンカをしてしまいました。というより、私がキレて言っちゃっただけなんだけど」

「なるほど」

「あ~あ」





朝から何杯目かのコーヒーを飲み、いつになく大きなため息を吐く。





「で、原因は?」

「ドレスの打ち合わせの後、食事に行って、帰りに送ってもらうことになり、一生懸命に会話をしていた私に、短い返事と、感心なさげな態度に、ぷっちーんと切れてしまった」

「おー、いいことだね。進歩したじゃない」



久美は、拍手をした。葵は、もうっと言って、久美の肩を叩く。



「ケンカも何もしないなんてありえないし、それは葵が、飾らない自分を見せ始めている証拠よ。結婚したら、いつまでも仮面をかぶっていられない。今から少しずつでも剥がして行けばいいのよ」

「そうだけど、やっぱりケンカはケンカよね。腹が立ってしょうがないの。昨日の今日で、なんの連絡もしてこないし。先が思いやられるわ」



全くと言って、頬を膨らませる。





「以外ね」

「何が?」

「葵って、もっとあっさりした恋愛をする娘だと思ってた」

「あっさり……?」

「連絡してこないくらい別に? 返事がないのが何か? って返すタイプだと思ってたけど、案外、名波さんと肌が合うんじゃないの? 恋愛してからの結婚がベストだと思ってたけど、見合いも捨てたもんじゃないかも。第六感? そんなものを感じて結婚するのも悪くない気がしてきたわ」

「そうかなあ」





短い会話をして仕事に取り掛かると、葵は、自分を客観視して考えた。確かに束縛されるのが嫌いで、自分も連絡がない、返信がすぐに来ないと、相手を怒ったことはなかった。このイライラは、久美の言う通り、仁に対して、特別な感情を持ち始めているからなのか。朝から続くため息を、また一つ吐いた。