「立花さ~ん、ここのハイビスカス枯れかけているから、いきのいいのと替えてくれるぅ?」

「はーい」





葵は、沖縄にいる。東京を離れて1年が過ぎていた。



離婚届けを置いて出てから、役所に提出したと連絡があったのはそれから一か月ほどたった頃だった。慰謝料など、すべての権利を放棄して、すべてが終わった。



仁の会いたいと言う申し出を拒み続け、離婚は成立した。結局の所、会いたいと言う申し出だけで行動に移している訳でもない仁とは、それまでだったのだと、割り切った。



両親は「何が何でも結婚を止めさせるべきだった」と後悔し、母、恵美子は大切な娘を傷付けてしまったと泣いた。双子の弟達には、俺達ができそうもない結婚式が体験で来て、良かった、出戻りと言われ、冗談で葵を慰めた。救われたのは、家族みんなが離婚したい理由を深く聞いてこなかったことだ。大人の決断。夫婦間のことは夫婦でしか分からないと義孝が言ったからだ。



仁が自分の両親にどう報告したのか葵は知る由もない。離婚をする者が、わざわざ挨拶に行くわけでもなく、その後のことは全く分からない。



やる気も何も残っていない葵が、パソコンでネットサーフィンをしていた時、旅行が趣味の人がブログを開設していて、何気なしに読むと、葵の興味をひいた。



沖縄のリゾートホテルにブログの投稿者は宿泊した。台風の多い沖縄らしく、宿泊した一週間の内、3日は外に出られず、台風が去った後は海が濁って泳げなかった。それでも全棟がスイートで部屋と言うより、家に泊まっているようでくつろげて、スタッフも台風になれているため、宿泊客を楽しませるイベントをしてくれ、退屈な日などなかったと書いてあった。



そのホテルに興味を持ち、ホームページを見ていると、何の気なしに「リクルート」となっている所をクリックした。そこにはいろいろな部門のホテルのスタッフを募集していた。



東京を離れたい。そう思った。一人で何もかもやり直したい。出戻ってきた葵は周りの視線が気になっていたのもある。



両親に沖縄のホテルで働いてみようかと思っていると伝えると、それもいい。と賛成した。





「立花さん、クロスが一枚足らないの。持って来てくれる?」

「はい」





プレシャスホテルのような宿泊規模の大きいホテルとは違い、宿泊棟が少ないこのホテルは、スタッフの人数もさほど多くはない。担当はそれぞれ決まってはいても、その範疇を越えて、気が付いた仕事を皆でカバーしていた。



時間に追われていた東京の暮らしとは違い、のんびりした沖縄の空気が葵の心を癒していった。





「今日は、プール掃除の日ですね。頑張りましょう」

「お掃除スタッフが、ぎっくり腰になってしまってね。重労働だけど、お願いね」

「体力には自信がありますから」

「そうね、立花さん、フットワークが軽いから助かるわ」





先輩の指示に従い、水を抜いてあるプールにブラシをかける。プール掃除は中学生以来だ。何故だかとても楽しい。



大きな声で先輩と他愛ない話しをしてブラシをかける。時に大きな口を開けて、笑い、楽しく仕事をしていた。



沖縄に来た葵は、ほんのり日に焼けた肌に、背中まで延びた髪を一つに縛って、東京に居た頃の葵の面影はなかった。太陽の様に笑う葵は、その姿がとても似合う女となっていた。



東京のホテルでそんなことをしていては、まず、怒られる行動だ。ここでは逆に、「暑いのに、ご苦労さん」とジュースの差し入れを貰うことさえあった。



最近、やっと仁のことを考えなくなった。最後まで会う事を拒否し、一方的に離婚をしてしまった人だ。仁は引き止めることも何もしてこなかった。会って話がしたいとだけ。自分の保守のみで、葵に関心がなかったのだと、解釈した。



最初は泣いてばかりいた。いい大人の葵だが、一人暮らしも初めてならば、家族とこんなに離れたのも初めてだった。



ホテルには、従業員用に寮がある。寮といってもアパートが一棟借りられていて、格安の家賃で入居できているだけだ。ホテルから車で30分以内の所に住んでいる従業員が多く、アパートの寮に住んでいるのは、10人いないくらいだ。



アパートの間取りは4畳と6畳、トイレとお風呂は別で、一人では十分な広さだった。ホテルまでは自転車で10分も走れば着いたので、快適そのものだ。しかし、沖縄での暮らしに車は欠かせない。葵は中古で軽自動車を買って、雨の日などは車で通勤していた。



一人の時間をどう使っていいのか分からなかった頃、同僚から「沖縄では何も考えてはダメ。時計を見ないで太陽が沈むまで気持ちの赴くままに過ごせばいいの」と、教わった。