金曜日。一日ぶりなのに、何日も来てないくらい久しぶりな感じする。
「今日もよろしくお願いします」
皆で挨拶し合って、利用者さんのお出迎え。コーモン様、今日も一番乗りだね。
「おはようございます。西村さん」
スマイルで挨拶。もう作り笑顔じゃないよ。
「前島さんおはよう。一日ぶりだね」
年齢八十歳とは思えないお達者ぶり。記憶力も冴えてらっしゃる。
水曜日と同じく体調チェックが済んだ後、染谷さんの提案。
「今日は利用者さん少ないから、外出してみましょうか」
「賛成!ドライブ行きましょっ!」
利用者さんから歓喜の声。こうやって思い立って出かける事もあるんだ。やっぱ施設とは大違い。
ほのぼの園の車二台に分かれて乗車。
「どこ行きますか?」
玉野さんの質問に、いろんな場所が飛び出す。その場で利用者さんの声を反映するなんて、小規模ならではの利点だ。
話し合いの結果、今日は紅葉見物することになった。片道三十分程で着くお寺に、立派な紅葉の庭があるからだって。
車内でも皆さんとってもお元気。外へ出るってワクワクするもんね。
「ここはいいよ。子供達とも遊べるし、こうして外へも連れ出してくれる。家にじっとしてたら、何もできないまま人生終わっちゃうからね」
コーモン様のお言葉。この方は、開設当初からずっと『ほのぼの園』に通われてるそうだ。
「職員さんも皆、優しいしね」
そう言われると励みになる。私と玉野さん、顔見合わせて微笑んだ。

その日の午後、外出から戻ってすぐに具合の悪くなった方がいて…。
「松田さんは?」
「外出してます!」
皆、バタバタ慌ててる。看護師免許を持ってるのは、松田さんだけだから。
でも、この方は確か心疾患を持ってて、薬を常用してると書いてあった。
(なら多分、持ってるよね…)
「ニトロ…舌の下に入れるお薬、どこですか?」
「こ…ここ…」
胸ポケット指差す。
「あっ、あった!」
すぐに舌下してもらう。上体起こして発作が治まるまで、側で様子を見ることになった。
「大分落ち着いてきましたよ…」
触診する脈のリズムが安定してきてる。もう大丈夫だ。
「ご心配おかけしました…前島さんがいて、助かりました…」
具合の悪くなった利用者の本田さん、大きく息吸って吐いた。
「ここで発作が起きるのは初めてでね。一時はどうなるかと思いましたよ…」
日頃の元気良さからして、つい忘れがちになってしまう持病。この方だけじゃない。痙攣発作を起こす方だっている。
前にいた職場では、それがいつ起こってもおかしくない状況だったから、常に危機感持ってた。
「前島さんみたいに落ち着いて行動できる人がいると、安心して通って来れますね」
にっこり笑って下さる。その言葉は私にとって、ここに居ていいんだよ…と言ってくれた気がして。
じわっ…
涙、滲んできた。
「おやおや、どうしました?」
本田さんをビックリさせちゃった。
「いえ、何でもないんです。ちょっと嬉しくて…自分の居場所、見つけたような気がしたから」
目をゴシゴシ擦る。お年寄りを前に嬉し涙なんて、出したことすらなかった。
“居てくれるだけで安心する”
そんな言葉にこれだけ感動するなんて、今までの仕事からは考えられない。
“居ることが当たり前”
ある意味そんな雰囲気だったから…。

つくづくここは、私をホッとさせる。
今までと同じ、福祉系サービス業なのに、なんでこんなに違いがあるんだろ…。

「不公平だよね、ホント…」
ご飯食べながら愚痴ってた。
「私、仕事しながら、今までの大変さって一体何だったんだろう…って、つくづく思っちゃった」
朝から夜中まで、気を遣ってクタクタで…と言い出したら止まらなくなる。それだけ一生懸命仕事してたってことだけど…。
「でも、どんな大変な事でも、引き受けてくれる人がいるから成り立ってるんだよ、世の中は」
自分の仕事も大変だから、さらっと言えちゃうのかな。トオル君に愚痴ってたこと、少し反省させられた。
今の自分の状況が恵まれ過ぎてるだけなのに、大変さに挫折して、逃げ出しただけなのにね、私…。
(仕事の内容比較して、不公平とか言う資格ないか…)
気落ちして静かにしてると、頭、軽く撫でられた。
「落ち込まなくていいって。ミオはただ、自分の探し求めてた仕事に出会っただけなんだよ」
優しい言い方。見上げる私に笑いかけてくれる。
「仕事始めてからイキイキしてる。いい顔で仕事できてると思うよ」
だからいろいろと心配だけど…って、ブツブツ。あはっ、まだ藤堂さんのこと気にしてんのかな。
「トオル君、ありがと…」
そうやっていつもさり気なくフォローしてくれる。
(だから好きよ…)
…って…えっ⁉︎ …あれ⁉︎
もしかして、今、気づいた?自分の気持ち。
(トオル君のこと…好き…⁈)
確かにマジ交際して、名前で呼び合って、何度かデートもしてるけど…。
(好きだって思ったの、今が初めてじゃない⁉︎ )
オタオタ…。なんだか急に動揺しちゃった。ドキドキしてくる。人を好きになるなんて、初めてでもないのに。
(そう言えば、付き合いだして夜に会うのなんて、今日が初めてだし…)
なんか、ヤバイ。緊張してきた…!
「ミオ、どうした?」
なんか変だぞって…お願い!顔見ないで!
「何でもないから!あはは」
完全照れ笑い。どう見ても、おかしいって思ったよね。
食事終わってお店出たら、街はすっかり暗くなってて夜のムード。
「日落ちるの早くなったな。まだ七時なのに」
「ホ、ホントね…」
言葉続かない。意識しだすと、こんなに急に喋れなくなるもの?
「じゃあ帰ろうか」
「えっ、もうっ⁉︎ 」
ビックリして、つい出ちゃった。
目が合ったトオル君、プッ…と吹き出した。
「じゃあ一杯飲みに行く?」
就職祝いに…って、ジェスチャー付き。
「うんっ!飲む!」
二つ返事。意識してたのどっか飛んでった。腕組んで歩き出す。あの山寺からこっち、歩く時はいつもこう。
トオル君の腕はがっしりしていて、頼り甲斐があって安心する…。
「…そう言えば今日ね、お一人具合が悪くなられて、私そういう人何度も見てきてたから、すぐに対処できたんだけど、後から言われたの、私みたいな人がいると安心して通って来れるって…」
ホッとする本田さんの顔が思い浮かんだ。
「嬉しかった…必要してくれる人がいて、ここに居ていいんだよって、言われてる気がして」
まだたった二回しか行ってないし、いつ辞めてねって言われても、おかしくない立場なんだけど…。
「あそこへ行くと、不思議と落ち着く。ホッとすると言うか、自分の居場所と言うか、そんな感じがして…」
ずっと働けたらな…って呟いたら、トオル君、ピタッと歩くのやめた。
「どうしたの?」
見上げた私を、真顔で見下ろしてる。
「ミオにとって、僕ってどんな存在?」
ドキッ!
「えっ…な、何⁉︎ 急に…」
怒ってるの⁉︎ と思ってしまうような表情。
(ちょっと…恐いかも…)
引きつった顔してる私に気づいたのか、トオル君の顔、緩んだ。
「ミオがあんまり仕事場に惚れ込んでるからつい聞きたくなった。僕ってどんな存在?」
「ど、どんなって…」
ドキドキ…今日初めて自分の気持ちに気づいた私にその質問⁈
(トオル君、タイミング良すぎるよ…)
「い…一緒にいて安心できるよ…気持ちも楽だし。仕事場とは違う、別の宝物…?みたいな感じ…かな」
言葉作りながら、でも決して嘘じゃないと思って話したのに、トオル君、私を脇道に連れてった。
「僕が聞きたいのは、そういう飾った言葉じゃなくて、ミオの素直な気持ち」
「えっ…」
「僕のこと、どう思ってるかって、そっち」
「えっ…あの…それは…」
しどろもどろ。焦らしてる訳じゃなく、単に言い慣れていないだけ…。
「す…好きです。モチロン…」
ーーと言っても、気づいたのさっきだけど…ね。
トオル君、安心したように頷いた。でも、まだどこか釈然としない様子。
(何なのこの人…今日変だよ…)
「ミオ…」
「は、はいっ!」
叱られるのかと思って、ついビクついた。そしたら…
ギュッ。
急に抱き締められた。
(えっ…⁉︎ )
予想してない展開にビックリして声も出ない。何が起きたのかと思った。
「あ…あの…トオル君…?」
どうしたの…と声をかけようとしたら。
「ミオが仕事の事ばかり話すから…」
ポソッ…と聞こえた小さな声。思わず耳をそばだてた。
「僕の存在、必要ないのかと思った…」
「えっ⁉︎そんなことある訳…」
ないじゃん…て言おうとする口、キスで止められた…。
初めてだった。こんな道端でキスしたの。
ボー…として、何も考えられなくなる。そんな長くしてた訳でもないのに……。
「行こっ」
唇話して脇道を出る。人通りのある道を並んで歩く間、少しだけ会話しなかった。
黙って道行く人とすれ違ってると、トオル君、ポソッ…と一言。
「好きだ」
…って、言ってくれた。
握ってる手にぎゅっと力込もる。
顔上げると、照れた表情で振り向く。ポリスしてる時とは違う、優しい眼差し。私にしか見せない顔…だよね、きっと。
笑みが浮かぶって言葉の通り、お互い自然と微笑み合った。
この夜は、それ以上何の進展もしなかったけど、今までとは違う、何か大事なものを交換した……。