いろはにほへと



テレビ局のスタジオのひとつから出て、一旦控え室に戻るか否か思案しながら廊下を歩く。


忘れなきゃいけないのに、あの子を想って書いてしまった曲を歌うのがしんどい。

恋愛のいろはは知っている。

忘れ方も、優先順位のトップにすべき感情ではないこともよくわかってる。

俺の中で、いつだって歌うことは最優先事項で、それは不動の存在だった。


だから、難しいことじゃなかった。一時の煽られた感情を捨てることなんて。




「っうわ」



俯きながら歩いていたせいか、曲がり角、出会い頭に、誰かにぶつかった。


「すいません。」


謝りつつ、顔を上げると。



「お前…」
「ーあんた…」


向こうも一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに表情を変えた。



「どこ見て歩いてるんですかね。」


厭味たっぷりに言い放つ男は、阿立桂馬。


「悪いね。じゃ。」


会いたくない相手ランキング上位のこの男に関わりたくなくて、俺はもう一度軽く謝罪してから、直ぐに脇を通り過ぎようとした。