2000年12月27日

 朝6時皆で家をでる。曇天でまだ真っ暗だ。
京都駅から関空行きの”はるか”に乗る。

息子が「見てみい、朝焼けがごっつう綺麗や」
と窓の外をさして言う。薄明かりの雲の切れ間から、
朝日がご来光のように光の筋を出して昇り始めた。

すばらしく美しい。娘と妻と、4人がしばし見とれていた。
何よりもあの息子が「見てみい」と言ってくれた事が、
ことのほか親父としてはうれしかった。

関空→上海は、2時間そこそこ。あっという間だ。
あわただしく食事が出て、それでも息子と
隣りあわせで、卓上のゲーム機を扱う。

息子が将棋の画面を見せてきた。おどろいた。
いつの間に憶えたのだろう。教えた記憶はさらさらない。
そういえば三国志とか方針演技とかずいぶん詳しい。

中一13歳。今まで忙しすぎてほとんど話したこともない。
いつのまにかちゃんと大人になっていくんだ。
娘もそうだろうか?

長年の罪滅ぼしの家族旅行。実りあるものにしなければと
親父は心に決めていた。娘は小六12歳。年子なのだ。
この十年ほど、子育ては全部妻任せで、大変だったと思う。

必死で頑張った挙句会社は倒産。意を決して独立した。
そしてやっと勝ち得たこの旅行だ。親父の思い入れは
相当なものだった。

息子とはなん手もささないうちに上海に着いてしまった。
新空港浦東空港に降りる。日差しは明るくほこりっぽいが
暖かそうだ。

まだできたばかりの空港を歩く。ほとんどの店舗が
まだ開業していない。だだっ広い新空港だった。