『美和へ

元気ですか?ちゃんと学校には行ってますか?好き嫌いなくご飯を食べていますか?
急にママが居なくなって寂しい思いをしてると思います。
ママはどうしてもやらなきゃいけないお仕事があって家には帰れません。
でも、いつか必ず美和の元に帰るし、遠く離れていてもママは美和を見守っています。
どうかそれまで頑張って毎日学校に行って下さい。美和を大好きなママより』


『孝之さんへ

突然このようなことになってしまい、申し訳ありません。
仕事が大変なときに美和の育児まで重なることになって、謝罪の気持ちでいっぱいです。
私が出所するまでどうか美和のことを宜しくお願いします』


 手短ながら二枚の便箋に想いをしたためると、それを封筒に入れようとする。しかし、そのタイミングで加奈に声をかけられる。
「ちょっと待って。何書いたの? 見せて」
「えっ、なんで貴女に見せないといけないの?」
「検閲に引っ掛かって便箋無駄にしないためだよ」
「検閲?」
「アンタ本当に何も知らないんだね? 検閲って刑務官が手紙の内容をチェックするってこと。外の人間と違法なやり取りをさせないための手段なんだよ」
「大丈夫。違法なこと書いてないから」
「初めて送るアンタに、大丈夫かどうかなんて判断出来ないだろ? いいからよこせよ」
「渡さない!」
 無理矢理封筒を奪おうとする加奈に、結衣は必死に抵抗する。もみ合っているとタイミング悪く刑務官が通り、二人は叱責され三日間の独居房行きを宣告される――――


――三日後、寮に戻ると加奈が恨めしげな目つきで結衣を睨んでくる。結衣も負けじと睨み返し、帰ってきた早々舎内は空気が重くなる。そこへ最年長の小夜が間に入り結衣に話し掛けてくる。
「結衣さん、貴女の手紙だけど、私が送っておいたから安心していいわよ」
 嬉しい報告に結衣は笑顔になる。
「ありがとうございます。助かりました」
「でも、一ついいかしら?」
「どうぞ」
「加奈さんが言ったように初めての送付でしょ? だから、悪いと思ったんだけど内容を読んでしまったの」
 申し訳なさそうに白状されるも、結衣はあまり良い気はしない。
「小夜さんにはいろいろ教えて頂きましたし、投函もして下さったので構いませんよ」
「そう、ごめんなさいね。でも一言言わせてね。あの手紙、お子様と旦那様に宛てた手紙のようだけど、嘘はいけないし二人の未来を考えたら、手紙を出さずそっとしといた方が良いと思うわ。それに、手紙を出すなら親族じゃなく、まず被害者への謝罪をしたためた手紙が優先じゃないかしら? 読んで貰えるかどうかは別にしてね。手紙を読んで思ったけど、結衣さん、被害者に対して悪いと思う気持ちがないんじゃない? 自分と家族のことばかり考えてる気がする」
 小夜から語られる言葉に結衣の心をえぐらるような気持ちになる。その日以降、結衣は舎内の誰とも話すことなく再びふさぎ込んでしまう。孤独を胸に抱えながら全く温かくならない薄い布団に包まり、結衣は半年前を振り返る――――


――激しい雨の降る午後、結衣は車のハンドルを握ったまま動けないでいる。雨で視界の悪くなった曲がり角から飛び出した赤い物体がランドセルだと認識出来たのは、そのランドセルがフロントガラスを真横に通過した瞬間だった。急ブレーキをかけて曲がったため、手首を捻挫したような痛みが走る。サイドミラーに写る倒れた女の子の姿を見た瞬間から結衣の記憶は朧げになった。
 公判中、亡くなった女の子の遺影を抱え睨みつける男性が印象的で、その場で殺してくれたら楽になれるのにとも考える。それと同時に同法定内で見た孝之の姿に涙が溢れて止まらなかった。
(小夜さんの言う通りだ。私がまず手紙を出すべき相手は家族ではなく、被害者の家族だ。来週の手紙にはちゃんと謝罪の手紙を書こう……)
 亡くなったのがもし美和だったらと考え、その胸の苦しみを想像しながら結衣はまどろみに落ちていく。一週間後、被害者への謝罪文を書き終えてふと気がつく。
(そう言えば私、被害者の住所知らない。どうすればいいんだろう)
 しばらく考えた後、家に手紙を書き、送り返してもらう形により住所を教えてもらうことにする。
美和や孝之へのメッセージに続き、被害者宅の住所を知りたい旨をしたためると手紙を刑務官に渡す。
先週送った手紙の返信が無い事はちょっと気がかりだったが、現状この方法しか思いつかないので思いを託す。

 三日後、刑務官より思いも寄らない吉報が寄せられ結衣はドキドキする。手紙を見たであろう孝之が次の金曜日に面会に来ると伝えられた。
(手紙の返事よりもずっといい。久しぶりに会える。孝之さん……)
 一人浮かれている結衣を舎のメンバーは冷たい目で見るも、結衣自身はまったく気にならない。
(私は貴女達とは違う。優しい旦那に可愛い娘が私の帰りを待ってる。貴女達と馴れ合うなんてまっぴらごめんだわ)
 周りの視線を無視しながら金曜日を指折り数え、やっと当日がやってくる。久しぶりに会う孝之にすっぴんで会うのはちょっと気が引けるものの、そこは割り切って面会室へと向う。制限時間があるものの、ちょっとでも会えると考えるだけで嬉しくて頬が緩む。
(なんか遠距離恋愛してるみたいでドキドキする。ってちょっと不謹慎かしら)
 変な想像をしながら面会室に入ると、正面に座る孝之が目に入る。
(本物の孝之さんだ。本当に会いにきてくれてる。嬉しい)
 急いで椅子に座ると結衣の方から話し掛ける。
「久しぶり、アナタ。元気だった?」
 結衣の問いに孝之は苦笑しながら切り返す。
「元気? 俺が元気そうに見える?」
 言われて顔を見ると、半年前に見て以来、あきらかに痩せ細っている。
「痩せてる。どうしたの? 何かあったの?」
「何かあった? はは、想像できないんだ? 近所から白い目で見られ、会社クビになって、美和はイジメられ、引っ越しを余儀なくされたよ。被害者の藤本さんからも当然責められたし、実家からも勘当された。オマエ大変なことしてくれたな」
 孝之の言葉で結衣は絶句してしまう。
「民事での賠償で家とか貯蓄等の資産は全部無くなるし、俺、美和と一緒に死のうかと考える時期もあったよ」
「た、孝之さん!」
「安心しろ。死にはしない。幸い、こんな状況でも俺を支えてくれる人がいてな。美和とも上手くやっていけるって女性がいるんだ」
 孝之から語られる衝撃的な単語に息を飲む。
「零からのスタートになるけど、死ぬよりはマシだと思えたのもその人のお陰なんだ。結衣、オマエとは離婚して俺と美和は新しい人生を歩んで行くよ。離婚できないっていうなら裁判をしてでも別れるつもりだ。できたら、すんなり別れて欲しいんだがな」
(新しい女性に、離婚。意味がわからない……)
 黙り込む結衣を見て孝之は口を開く。
「手紙にあった藤本さんの住所の件は、刑務官にさっき渡した。離婚届けと一緒にな。離婚届けはできたら早めに頼む。さっき話した女性と結婚して俺や美和の姓を変えたいんだ。今のままじゃ美和もまともな学校生活が送れないからな」
「美和のため?」
「正確には、俺と美和のため」
「そう、分かったわ。今日中に書いて刑務官に渡す」
「そうか、ありがとう」
(ありがとうって言葉でこんなに嫌な気持ちになったのは生まれて初めてだ……)
 黙っていると孝之は席を立つ。
「俺、もう行くから」
「…………」
「最後に一つ言わせてくれ。もう二度と俺達の前に現れないでくれよ。もちろん手紙も出すな。俺、オマエに対して恨みの気持ちしかないから」
 捨てゼリフを吐くと孝之は部屋を後にする。残された結衣の脳裏には『何があってもずっと二人で支え合っていこう』という孝之から受けたプロポーズの言葉が延々と流れていた。