「一哉?」



架空上の人物の名前を呼ばれて、自分のことだと気付くのに、一瞬遅れた。



「―え?」



「どうしたの?ぼーっとしちゃって。グラス、もう空よ?」





見ると、向かいの席で志織が拗ねたような顔をして、俺を見つめている。




「あぁ…ごめん。気付かなかった。ちょっと、酔ったのかな。」




少しの焦りを取り繕うように言い訳してみると、益々志織は口を尖らせた。




「嘘ばっかり。一哉がお酒に強いこと、知ってるんだから。酔い潰れた経験も無い癖に。」




これは予想以上にお姫様の御機嫌を損ねてしまったらしい。



「俺だって、軽く酔うくらいはするよ。でも、ごめん。ちょっと考え事してた」



仕方が無い、折れるかと謝罪するも。




「…あとちょっとしか一緒に居られないのに。」





残された時間の短さが、彼女の気持ちに拍車を掛けているらしい。





本当におかしいな。



俺は自分自身で改めて思う。



今まで、自分につけた名前を忘れたことなど一度もない。





なのに。





『一哉』が自分じゃないと感じるなんて。



珍しいにも程がある。



それは―



この街に帰ってきたのが原因だろうか。





『アオ』と呼ばれるような気がするのは。






それが本当の自分の名前だと感じるのは。



もし、そうだとしたら。




この街には長く居られない。