「なんだ…やっぱり他にも女がいたんじゃんね、かの…」



憲子が振り向きざまに言いかけて、口を噤む。



「花音?」



もう一度、名前を呼ばれるけど。



正直、もうそんなのどうでもいいや。



「…ごめん、、やっぱり今日は帰る」




「花音!?」



私は踵を返して、今来た道を駆けて戻る。


憲子には、多分バレた。


だって、仕方ないよね。


勝手に涙が溢れて来るんだもん。


考えるより先に、私の身体があの人を好きだというんだもん。



何も特別じゃない。


私は何も特別じゃない。



何をはしゃいでたんだろう。


幾つもの偶然が重なっただけで。


やっぱりただの詐欺師に騙されているだけなのに。



頭ではそれを理解しているのに。



心は甘い麝香に完璧に捕らわれてしまった。



「はぁっはぁっ」



無我夢中で走ったために、酸素を求めるが、空気が冷たいせいで肺に刺さる。



ぽろぽろ流れていく涙は、温かいのにすぐに冷えて頬に張り付く。


何処へ、なんてことは考えていなくて。



頭の中に浮かぶのは、さっき見た光景で。


それを消し去りたくて、がむしゃらに走った。



深く関わらないで居るなんて無理なことだ。


だって、深く関わりたいんだ。


もっと知りたいんだ。


とっくにそんなことに気付いていたのに。


気付かないふりをしていれば。


いつかこんな想いは風化するものだと思っていた。


あと、少ししか、一緒に居る時間は残されていないのに。



もっと、貴方と居たいのに。


この想いは届かないのに。


相反する気持ちを常に持っていた。



好きじゃないと思うのに、もしかしたら特別に思ってくれているかもしれないという期待。