「ねぇ、あなた。」
なんだ?
「私達、長い間ずっと一緒にいましたけど、本当に色んなことがありましたねぇ。」
……ああ、そうだな。



「そうね……、こどもが皆独り立ちしてしまったときは寂しかったわ。こどもが出ていっていざ二人になると、あなたと何十年も一緒に暮らしてきたはずなのに、お互いがお互いのこと全然わからなくなっちゃってて。今思い出すと本当におかしかったわね。」
い、いや、俺はそんなことなかったぞ。
お前のことはちゃんと見ていたつもりだ。わからなかったのはお前だけだ。大体お前は……



「覚えていますか?あの時あなた、ケーキを買ってきてくれたの。抹茶のケーキ。
ケーキ屋なんて近づきもしないのに。ケーキの箱を差し出された時はどういう風の吹き回しだーってすごくびっくりしたわ。」
覚えている。キラキラしたかわいいモノがたくさん置かれているオシャレな店だったと思う。何を買うか迷って迷って、選んだ小さな抹茶のカットケーキ。



「でもね、箱を開けた瞬間、そんなうがった思いはなくなりましたけどね。」
そうだろう。そうだろう。お前は甘いものが好きだからな。ケーキなら外さないと思ったんだ。
「ふふ、……あなた、私が抹茶が嫌いだって忘れていたでしょう。」
なっ!お前、うまそうに食っていたじゃないか!!
「それを見て、私のために一生懸命選んでわざわざ買ってきてくれたんだってすぐにわかりました。ぎくしゃくしている私に、あなたなりの優しさだったんだって。」
………そんなんじゃない。



「あなたがケーキを買ってきてくれた日、私はもう一度あなたと一緒に日々を過ごそうって改めて思ったんですよ。若い時みたに情熱的にはなれないけど、穏やかで心底幸せを感じることができるようなそんな日々をこの人とつくっていこうって。」
単純な奴だな。お前のそういうところは昔から変わらない。
その、ちょっと、あれだ。ケーキは気まぐれってやつだ。そんな話を蒸し返すんじゃないよお前は。



「ふふふ。こういう話はあまり好きじゃなかったわね。でも、あなたのこんな話たくさん思い出せるわ。あの子も、ちゃんと気づいていたわよ?」
?何をだ?
「あなた、小さい頃あの子をこっぴどく叱りつける度にあの子以上に落ち込んでいたでしょう?そんな風に見せないよういしているようだったけど、バレバレでしたしねぇ。」
ははは、確かに昔はそんなこともあったな。懐かしい。



「そのあと必ず、子供部屋に行って無言であの子を野球に連れ出してキャッチボールしてましたね。あの子、何年かは嫌がってましたけど…」
……嫌がってたのか。
「小学生の中学年だったかしら?こういったんですよ。
『お父さんは素直にごめんなさいが言えないから付き合ってやるんだ』って。私おかしくって大笑いしましたよ。」
おい、そんな話は初耳だぞ。大体あいつが悪いことするから叱ってるのに、なんで俺が謝っていることになるんだ。



「あの子もあなたに似て素直にごめんなさいが言えないから、キャッチボールから帰ってくると決まってすっきりした顔をしていました。」
そうか。そう、だな。
「あの子が生まれたときなんて、あなた泣かれっぱなしだった。不器用にだっこしては泣かれて、おむつを替えようとして泣かれて、ひどい時は顔を見ただけでも泣かれて…」
そんなことない。ちゃんとあやしてやった。泣かれていたのはお前の方だろう。



「それでもかまいたいものだから、あれやこれやで不器用につろうとして。
ふふふっ、本当に幸せな時間だった。」





………ああ、幸せだった。





「ねぇあなた。むこうはどんな風なんでしょうね。私想像もつきませんけど、居心地のいい場所だといいですね。」
俺だってわからんさ。まぁ、先に行っていろいろ調べておいてやる。


「私がそっちにいった時には、ちゃんとエスコートしてくださいね。」
エスコートってお前、どこの外人かぶれだ。エスコートなんて上等なことできるわけがないだろう。……まぁ努力はしてやる。
「あなた、ほんとにエスコートができない人でしたよね。若い時デートする時もがちがちに固まってしまって。隣で歩いているこちらがハラハラしましたもの。
……でも、今回は大丈夫ね。きっと穏やかな気持ちでデートできると思うわ。ふふ、デートなんてなんだかドキドキしちゃいますね。」
………ああ。
「本当にいい人生でした」
……本当にいい人生だった……
「ありがとうございます」
………。
「おやすみなさい、あなた。また会える日まで」
………………………。