昼食もほどほどにして、祥子は人気のない廊下で名刺片手にメールを作成していた。名刺には名乗られたように青柳徹という名前と、会社の役職名等が記されており、裏には携帯電話の番号とメールアドレスが手書きされている。
 最初は朝一でメールを送ろうと考えていたが、あまりに早過ぎるとがっついている感が出そうで止めた。それに一呼吸おいてメールの文章を考えたいというのもある。感情に任せて書くと変なミスをしかねない。
『こんにちは、今朝コンビニの駐車場でお名刺を頂いた、一ノ瀬祥子と申します。今朝はまともに挨拶もせず、失礼致しました。メールからでも構いませんのでいろいろとお話できて、仲良くなれたらと思います。宜しくお願いします』
 いろいろと聞きたいこともあるが、敢えて無難な感じで行く方針を決め送信する。数分も待たずして青柳から返信があり、祥子はドキドキしながらメールを開く。
『こんにちは、青柳です。メール来なかったらどうしようってドキドキしてました。送ってくれて嬉しいです。こちらこそいろいろ話せて、仲良くなれたらと思います』
(青柳さんも無難な感じでメールしてきてるな。これからどういう展開で攻めて行くべきか。早めに白黒付けるためにも、いきなり恋人や結婚の有無を聞くのもアリ? でも、せっかくこんな良いきっかけが出来たんだし、ガツガツ行って引かれるのも嫌だ。彼女の有無を聞く時点で、私の方の惚れてる感が伝わってしまう恐れもあるし。やっぱり無難に少しずつ仲良くなって、会話の端々から推察して行くのがベターか……)
 終始無難作戦を決断した祥子はそれに沿ったメールを作成する。
『こちらこそ宜しくお願いします。今朝、お名刺を頂いて正直びっくりしました。通勤時にいつもお見掛けするなって思っていたので』
(本当は私の方から意識して振り向かせた感があるんだけど……)
 送信後、しばらくして返信が来る。
『勘違いだったらごめんなさい。通勤時、一ノ瀬さんがずっと僕を見つめていたような気がしてました。で、数日前から会釈するようになって、今度会ったら思い切って話し掛けようと思い今日に至ります。見られてなかったら自意識過剰で恥ずかしいです(笑)』
(バレてるし。っていう当たり前か。ネコ被るか、素直に言ってしまうか二択だな。そもそも、きっかけは青柳さんが子犬を助けてたことに起因するんだよね。でも、もし人違いだったら、逆に少し覚めちゃうかも……)
 出会いのきっかけとなる根本部分について不安がもたげ、祥子は焦りながらメールを作成する。
『実は半年前あの道で車に轢かれた犬とその子犬を助けていた人がいまして、青柳さんがその人に似てるなって思って見てました』
(どう返してくるだろうか。内容によっては今後の展開が大きく変わる)
 緊張した面持ちで待っていると、今度は直ぐに返信がくる。
『それは僕じゃないと思います』
(えっ、嘘!? やってしまった、やっぱり人違いだったんだ……)
 ショックを隠し切れず、祥子はメールを返信することなく肩を落とし仕事に戻っていった――――


――夕方、気落ちしている祥子を見兼ねた彩が晩御飯の誘いをしてくる。愚痴りたい祥子にとっては渡りに船だ。人気のパスタ屋に着くと注文もそこそこに彩が切り出す。
「擦れ違い男となんかあったんでしょ? 話聞くよ」
「ありがとう。実はメールを交わす仲になってます」
「マジで? 凄い進展じゃん。こりゃびっくり」
 祥子はここ最近の状況と今朝あった出来事等を細かく話す。彩は真剣な顔で耳を傾ける。
「でもね子犬を助けた人じゃなかった。私の勘違いだったみたいで完全に別人。私はここ一ヶ月、本当に全く知らない相手へ好意を寄せてました。終わり」
「はい、大変良くできました。おめでとうございました」
「ありがとうございました……、って愚痴終わっちゃうから。なんか的確な意見言ってよ」
「ん? いやさ、私的にはもう子犬関係なく付き合っちゃえばって話なんだけど? 手書きアドレス入り名刺を用意してた時点で、相手さんも祥子を気にいってる訳だし、いいんじゃない?」
「う~ん、でも私はそもそも子犬を助けた人に好意を寄せた訳で、今の青柳さん自身の何かに惚れたわけじゃないからね? 正直、付き合いたいと思える要素無しですよ?」
「彼氏いない歴三年のくせに、なかなか贅沢言いますな~」
「そんなこと私の勝手。っていうか、ちょっと失恋気分なんだからさ、少しは優しい言葉かけてよ」
「へいへい。あっ、優しいと言えば、鉄平ってああ見えて凄い優しいヤツだよ。私、アイツの素、見ちゃったんだよね~」
(バカ鉄の素って言われてもな……)
安藤鉄平(あんどうてっぺい)は同期入社で病院では主にコンピュータ関連の業務に携わっているが、よくへまをしたり居眠りをして上司に怒られてばかりいる。興味は全くないが流れ上聞くしかない。
「何? 道路で子犬でも助けてた?」
「いやいや、アイツ電車通勤だから」
「じゃあ何よ?」
「昨日の休み、たまたま駅で見掛けたんだけどさ、アイツ、切符の買い方に困ってるお婆さんに切符買ってあげて、わざわざ乗るホームまで付き添ってたのよ。しかもちゃんと乗る間際までね」
「単に暇だったんじゃないの?」
「かもね。でも仮に暇だったとしても、なかなか出来ることじゃないと思わない?」
「確かに。えっ? じゃあ、彩ずっとバカ鉄を見てたってことよね? まさか……」
 ニヤつく祥子を尻目に、彩は運ばれてくるパスタを受け取る。
「勘違いしないでね? 私、彼氏とデート中で、たまたまお婆さんと乗る電車が同じだっただけだし」
「な~んだ」
「でも、今の彼氏と付き合ってなかったら、ちょっといいかなって見直した。じゃ、ゴチになりま~す」
「オイ、さりげに私に奢らすなよ」
 事もなげにパスタを巻き始める彩を、祥子は呆然として見つめていた。