秩父橋から続く坂道を必死にペダルを漕ぐ隼。

でも私は楽々だった。


(ざまあみなさい隼。流石電動アシスト自転車でしょう。私の言うこと聞かなかったからよ)

私は隼に勝ったような気になっていた。


(ごめんね隼)

ても本当は解っていた。
隼一人だけなら野宿だって出来るのに、私が居るから宿屋を取ってくれたってことも。
それなのに私は、何て罪作りなのだろうか?


坂を上がりきった所で隼を待つ。
途中にあった可愛い花を思いながら……




 次の交差点を左に折れる。


案内板通りに行くと札所札所二十番岩之上堂が現れた。


「おん、あろりきゃ、そわか」
又聖観音のご真言だった。

観音堂は秩父札所の中では最古で、驚いたことに個人の所有物なのだそうだ。


江戸時代には橋はなく、川を越えてから崖を這い上がったようだ。


旧秩父橋から川を見た時、その崖の高さに目を見はった。

彼処を必死に登るお遍路達。

その御苦労を思いはかっていた。




 二十一番観音寺は通りに建っていた。


「おん、あろりきゃ、そわか」

所作の後で聖観音様のご真言を唱えた。


一般住宅と見間違えるような簡素な造りのお堂だった。


私達は一旦通り過ぎてしまっていた。
気付いたのは二十二番の案内板によってだった。


急いで元来た道を逆戻りした。


ほどなく現れた二十一番の駐車場。


信号も無ければ、横断歩道さえも無かった。

それはあの巡礼橋を渡った後に現れた金昌寺への交差点に似ていた。


(事故でも起きたらどうするの? 責任は誰が……)
ふと、そんなことを思った。


私が子供の頃のことだ。

信号機の設置を嘆願書に纏め警察署に提出したことだ。


『死亡事故でも起きれば一発で出来ますが……』

窓口の人がそう言ったそうだ。

勿論猛反撃した。


『それでは遅いんだ!!』


『其処に住む人の命なんか何とも思っていないのか!!』

其処にいた人全員が激怒して、反発の声を上げた。

でもその声は届かなかったそうだ。

結局信号機が設置されたのは、警察官の言った死亡事故の後だったのだ。


(此処もそうなのかな?)

私は警察が人の命を軽くみているような気がしてならなかった。


信号機などの申請は役所ではなく、警察署に提出するらしい。
死亡事故が起きたら信号機を付けてやる。

そんなこと言っていないで早く安全に巡礼者が渡れる横断歩道から作ってほしいと思った。