「ありがとうございました」

タクシーは鈴木くんのマンションの前で私達を降ろすと、降りやまぬ雨の中に消えていった。これから仕事に精を出すのだろう。

「ありがと。助かったわ」

お礼を言って、傘を広げる。傘の内側に張ってある生地の柄は、今は見えない青空模様だ。

「帰るの?」

鈴木くんがそうやって寂しげに言うから、私はまた動揺してしまう。

そして、この目は見てはいけないものを目撃してしまう。

……久しく見ていなかった鈴木くんの獣のように飢えた瞳を。私を惑わす美しい獣の濡れた唇を。

「おいで」

鈴木くんは抗いがたい魅力の持ち主だ。おいでと言われて、拒絶できる人がいるのだろうか。

彼は嵐に乗じて私を攫いにやってきたのだ。

……雨が降っている。

雷の音が遠くで聞こえた。きっと、まだ雨は止まない。

……雨が降っている。だから、今は帰れないの。