「あ、渉の奴、帰ってきたよ」

そんな話しをしている内に、部長に呼ばれていたという佐伯が戻ってきたようだ。

鈴木くんが手招きをすると、佐伯は傍らにいる私にすぐに気がついた。

「どうした?」

「さっきは……ありがとう。助かった」

心の中で何度も練習したとおりの会心の出来である。

本当は鈴木くんに言われなくても、佐伯が愚かじゃないってことくらい私だって知っている。

鈴木くんが気を遣うようにその場からそっと離れて行くと、お礼を言われて照れ臭そうに頬を掻いた佐伯がまた私を唆してくる。

「また今度、飯でも行くか?」

「……うん」

私はこれまた珍しく素直に頷いたのだった。

この時の私は、いつかのように剥がされるかもしれないルージュのことばかりに気を取られていて……。

もう少し早く佐伯に歩み寄っていればと後悔することになるなんて、これっぽっちも思っていなかったのである。