長く続く沈黙に、横で本当に寝たのかと思いかけたとき、再び彼が口を開いた。

「な、瑞季。お前、さ」

「・・・何?」

「お前、いつから俺のこと、兄ちゃんって呼ばなくなった?」

チラと隣を見ると、彼は目を閉じながら話していた。

私は視線を天井に向け、わざとそっけなく答える。

「なんなの、突然。そんなの覚えてないけど。気づいたら、でしょ。」

「じゃあ、なんで俺のこと、お兄ちゃんじゃなくて颯太って呼ぶようになったんだよ」

「だから、そんなの覚えてないしわかんない。意味なんてないと思うけど・・・何?さっきから何の話?」

とっくに寝たフリを続けることを諦めていた私は、隠しもせずに怪訝な声で聞き返す。

「俺はそうは思わない」

「は?」

「意味がないなんて思わない」

「なんでよ」

言いながら、寝返りを打つフリをして彼に背中を向ける。
やっぱり寝たふりを続けるべきだったと改めて後悔した。

「俺が高1のとき、彼女といるとこをお前に見られたすぐあとからだった」

「そう?・・・かもしれないけど、たまたまでしょ。てか、覚えてるなら何で聞くの」

「瑞季は俺のこと、ただの近所のお兄ちゃんじゃなくて男として見てたから、
 颯太って呼ぶようになった。彼女が呼び捨てにしてるのを聞いたから。違うか?」

「何言って・・・」

この男は、何を言い出すのか。

そんなこと聞いて、私が答えたとして。

それで、どうするつもり?

イライラが募る。

怒りにも似た感情に、目が回りそうだ。

あきれ顔で声のする方向に顔を向けて何か言ってやろうと口を開きかけた瞬間、

私は言葉を詰まらせた。

いつの間にか彼が横を向いて、まっすぐな目で私を見ていたからだ。

その、全てを見透かそうとしているような強さに。

彼に負けまいとすることを忘れ、私は目を伏せる。

鼓動が速くなっていく。

胸が苦しい。

この話はしたくない。

でも、頭が上手く働かなくて、話題を変えるにはどうしたら良いかも思い浮かばない。

声を震えさせないように気をつけながらやっと言えたのは、一言だけだった。

「…なにそれ」

「だから、俺のこと、ただの近所の幼馴染みだなんて思ってなかったんだろ?」

やめて。

それ以上言わないで。

胸に秘めていくつもりだったのに。

私は、振り絞るように声を出す。

精一杯冷たく聞こえるようにすることで、彼の問いを否定できると信じて、

乱暴に言い捨ててみる。

「何の冗談?普通、そういうこと自分で言う?うぬぼれないで」

「冗談なんかじゃないよ。自惚れでもない」

私は彼の言葉を振りきるように、顔を背けて言った。

「自惚れでしょ。勘違いしないで。それに、だったら何だって言うの?
もしそうだったとしても、今はもう違うわよ。そんな、下らないこと言いに来たなら帰って」


「・・・瑞季」
「帰ってよ」

名前を呼ばれても、振り向かない。
振り向けない。
今、自分がどんな表情をしているのかがわからないから。

そのとき、小さな衣擦れの音がした後、背けた顔の前に、大きな手が置かれた。

はっとして視線を上げる。

「瑞季」

上半身だけ起こした彼の両手がいつの間にか、私の顔を挟むように置かれていた。

静かに見下ろす彼の表情は、窓からの日差しが逆光になってわからない。

ただ、わずかに光る瞳が、熱を持って揺らいでいる。

ささやくような低い声が、私の名前を呼んだ。

「瑞季」


「俺の勘違いなら、なんであんなキスしたの」


「そ…っ」

かぁっと顔が熱くなったことを隠したくて、顔をそらしたかったのに。


顔を背けるより先に落ちてきた前髪の感触に、反射的に目を閉じると
覆い被さるようにキスが落ちてきた。