教師の声が、とろとろと生徒の名を呼ぶ。
高橋、津田、藤堂、奈良橋、新延、沼田、野村、平林、堀田、堀内、前野。

「むとーう」

「はい」

誠司の低い声が響く。
出席を取っている間は、まだ私語が絶えない。
教室は雑音に包まれている。

「…良いよ、礼」

確認するように、誠司はまた礼を呼び捨てにする。
それを待っていたから、先刻たいした必要もなく、礼が誠司を呼んだと分かっていた。

「んじゃ、決定ってことで」

望田、山崎、山田、山辺、湯木、渡辺、今日の欠席は桜井だけなー。
じゃあ今日は、どこからだっけ、勝木。

BGMのように、教師の声が流れていく。
さらさらとノートを取りながらも、こんなものは中学のおさらいでしかないと、誠司は内心思っている。

朝廷が、天皇が、幕府が、武家文化の発展が、守護の台頭が、全部どうでもいい。
教師は戦国時代の話に時間を割きたいだけで、ここまでの授業をタイトに進めてきたのだろう。
楽しいのは一人だけだ。

「で、政略のために嫁にやった妹というのは、武藤」

「…お市の方です」

「そーう、お市の方だなー」

くだらない。
誠司は一時間前の記憶を探る。
半沢蛍子の声を思い出す。
高くもなく低くもない、落ち着いた声。
七分袖の白いブラウス。
後ろに少しだけスリットの入った、濃いグレーのスカート。
華奢な腕時計。
黒い髪。

半沢蛍子の事を考えると、くだらない授業はすぐに終わる。
問題は、授業が終わった後の事だった。

礼の思考が全くわからない。
今まで殆ど話した事もなかった礼がどういうつもりで自分に近付いたかなんて、誠司には理解する手立てもない。

冷静に、動揺せず、さらに冷静に。
一番大切な事がバレてしまっている今、誠司に出来る事は被害を最小限に食い止める事だけだ。

その『被害』がどんなもので、どの程度であれば『最小限』なのかがわからないというのが、誠司の混乱を広げ、頑なにさせる原因だった。


「じゃ、今日はここまでなー」

教師の声で現実に引き戻される。
チャイムが鳴る5分前に、教師は授業を切り上げてしまった。

また、号令が聞こえた。