薫子さんと主任の恋愛事情


「腕……痛いです」

空気の読めない私がその時感じたことを言葉にすると、力が入っていたことに気づいてなかったのか八木沢主任が「あっ」と小さな言って掴んでいた手を離す。

と同時にスタッフが、瓶ビールと先付の小鉢を持ってやってきた。

「お料理は、すぐにご用意してもよろしいですか?」

「お願いします」

八木沢主任がそう答えると、店員は「失礼します」とニッコリ笑って個室から出て行った。

「ここ天ぷらが上手くてさ。勝手に定食頼んだけど、よかったか?」

「……天ぷら、好きです」

「そ、そうか」

私の放った『好きです』のひと言が、なんとなく気まずい空気を部屋の中に作り出す。

その空気を振り払うように瓶ビールを掴むと、八木沢主任のコップにビールをなみなみ注いだ。

「おっと!」

それに八木沢主任が気づいて慌てて飲むと、泡で口の周りに白ひげが出来る。その姿が可笑しくて、つい笑ってしまった。

「薫子は、そうやって笑ってたほうが可愛いぞ。まあ俺は、どんな薫子も可愛いと思うけど」

「な……」

何言ってるんだ、この人は。私が可愛い? そんなこと生まれてこの方、男の人から言われたことがないし、親や兄たちにだって言われたことがない。目は確かだろうか。