「よっしゃ、始めっか!」


しばらく美しい風景に見入ったあと、オーリングが立ち上がってそう言った。


そう言えば、魚を釣るつもりでここに来たはず。だけど、見た感じ釣竿はない。


オーリングは腕まくりをして、やる気満々な様子。



まさか。こんな寒い中、



「素手!?」


「っ!!うわあ!!」



ばっしゃああーんん!!!



「あ…うそ…!」



突然の大声に驚いたオーリングが足をすべらせ、川の中に落ちた。


慌てて川べりに駆け寄り、引き上げるようと腕に力を込める。



「ぷはっ!びっくりしたぁ
どうしたの、急に大声出してー」



そう言い、腕に捕まりながら川から引き上げられたずぶ濡れの彼に私はすぐ謝った。



「ごめんなさいっ!私のせいでこんなに濡れてしまって…!オーリングさんが素手で魚を捕まえようとしているみたいに見えたので、こんな肌寒い夜に川に入ると風邪を引いてしまうかもしれないと言いたかったんですけど…逆にずぶ濡れにさせてしまったみたいで本当にすいません!!」


「…ルミちゃん」


「本当にすいませんでした。寒いですよね、何か…火を起こすものありますか?
私、やりますから…!」


「………」


「オーリングさん?」



オーリングは無言だった。


何を口にするのでもなく、じっとルミを見つめている。



怒っているのかな、と思ったけれどその目は何だか怒りとは真逆。


悲しみや辛さ、それと同時に優しさを孕んでいるような気がした。



「ルミちゃんは…優しいなぁ」


「え?」



それは思ってもみない言葉。


一体どこが、


そう口に出そうとしたとき。


あの明るいオーリングの表情が、暗く陰ったような気がした。



「優しいよ、ルミちゃんは。あの人に…よく似てる」


「…あの人?」


「…ああ、」


何処か別の、遠くを見つめる彼はまるで別人のようで。



「……」


「……」



二人の間に沈黙が流れたかと思うと、しばらくしてオーリングは、はっと我に変える。



「..ハハッ!ごめんね、しんみりさせちゃって!そんな暗い顔しないでよルミちゃん!可愛い顔が台無しだ」


「…オーリングさん…」


「あっ!それ!『オーリングさん』じゃない方が嬉しいな、呼ばれ慣れてないんだよね。周りの奴らからは『オーリィ』て呼ばれてるから、それがいい!」



(…そう呼べってことか)



今までのことが嘘のように大きなその瞳をキラキラと輝かせている。


あまりあだ名などで人を呼んだことのなかったルミには何となくそう呼ぶことがはばかれるような気がしたが、さっきまでのオーリングの様子を思い出すと、名前をそう呼ぶことだけで喜んでもらえるなら。


そう思った。



「……オ、オーリィ…さん」



僅かに躊躇いながら、彼の名を呼ぶ。
 

そして気まずさから逸らしていた目を彼に向けた。


オーリングは満面の笑みを浮かべていた。とても幸せそうな。


それを見たとき、ああ呼んでみて良かったと思った。


勇気を出してみて良かったと。



「そう!ルミちゃんから呼ばれると嬉しいなぁ、心が温かくなる!」


「んな、大袈裟な…」


「大袈裟でも何でもないよ!
本当にそう思ったんだ!俺は嘘だけはつかない。それに、俺が冗談や嘘をつく様な人間に見えるか!?」


「い、いえ…」


「そうだろう!嘘つけねぇもん、俺」



そんな自信満々に。明るく陽気なオーリングは本当にクスリと笑ってしまいそうなほど一緒にいて楽しい。


感情というものが欠落している私でも『楽しい』というものが分かるほどだ。


きっと人に囲まれて過ごしてきたのかなと想像できる。