「……月が気になるのかい?」


遊郭の一角。
欄干に持たれて、酒の肴に舌鼓をうちながら、吉田 稔麿…主が言った。


「……」


黙って、首を振る。
月を見ていたことは認めるが、気にかけているわけではない。


「諸伏…君はいいね。
俺は静かな奴が好きだ」


吉田の切れ長の目が、ぶつかる。
金縛りのように動きが封じられて、少しばかり唾を飲み込んだ。


どうやら、この男に恐怖しているらしい。


「分かるよね?…君なら。
馬鹿の一つ覚えのように、政や攘夷を叫ぶだけの男も、惚れただの、捨てられただの猿のように騒ぐ女も、俺は嫌いだよ」


男の手にある杯が傾き、中の酒が肴の上に撒かれる。


酒は肴とぶつかり、汚い音を立てながらこぼれ落ちると、男は意味深な笑みを浮かべて


「潰してやりたいぐらいに…ね」


すうっと、暗闇が広がった。


月が、雲によって隠され、行燈の影に男の横顔が怪しく揺れている。


行灯の炎は、まさに男が胸に秘めている黒い焰にもにて…。


ずきんと、右腕の刻印がかすかに痛んだ。