私は、淡路島という兵庫県にある島で生まれた。兄が一人おり両親と祖母の5人家族であった。

私に物心がついた頃には、絶え間のない両親の喧嘩が目に焼きついた。
私は、3歳まで言葉が話せなかったっと、私が成長する過程で教えられた。発達障害のある子としてみられていた中、私の置かれている環境面について、両親はどう考えたのだろうか?父の怒鳴り声、大きな物音、私は、夜の暗闇の中、恐怖心を覚えた。親の機嫌を伺い、明るい子を演じた。どれだけ悲しい思いをしても、鏡を見て笑顔の練習をした。自分の気持ちを圧し殺して生活をしてきた。

母の口癖は、「兄が社会に出たら、お母さんは家を出ていく、あなたは、この家で育ててもらいなさい…」
この言葉を聞くたび、私の心はどれほどえぐられたか、表情の奥でどれほど泣いたか…数えきれない…

子供は、親を選んで産まれてはこれない。子供にとり、親はすべてであり、大切な存在。今思えば、両親を愛してたからこそ、子供時代あそこまで心を痛めたのだろう。
私がただ望んだのは、家族みんなで笑って囲む食卓だった。
しかし、叶わぬ夢のまま…過ぎ去った。私の写真の中には、両親揃って写る写真はない。しかし、形だけの家族として今も存在している。それが現実だ。