「山を畏れさせるのか。山に入らぬように」
「ご明察、人避けでございました。清青様はずっと気に病んでいらっしゃいました、あの風のこと、それで多くの命が消えたこと」
もう数十年と昔のことだ。有青は、その日々の都の有様を母や祖父母から聞いている。野分とも違う乾いた大風が山から吹き降ろし、都を荒らし回ったと。それは紫青と呼ばれた実原清青が失踪したのと時を同じくし、夜叉に連れ去られたのだともっぱらの噂であったそうだ。
「しかし、都の誰かが命を落とすようなことがあったとは聞いておらぬが」
有青がいうと、氷魚は小さく頷いた。
「そうでしょう。人は体が大きゅうございますから。清青様が案じたのは、小さな者たち。獣や虫、鳥のこと」
一切衆生悉有仏性、という言葉が有青の脳裏に浮かんだ。世の中の生きとし生けるもの全てに仏となり得るのだという涅槃経の一節である。公家に生まれ育った清青は当然その言葉を知っていたろうが、体現すべしと意思を持っていたわけではあるまい。人も魚も獣も、何も区別はないことを清青は身を持って知っていたのだ。命を持つものそれぞれが懸命に生きていることを。
人が山に入り、無用な殺生をせぬようにと、山を畏れさせたのだ。
「ご明察、人避けでございました。清青様はずっと気に病んでいらっしゃいました、あの風のこと、それで多くの命が消えたこと」
もう数十年と昔のことだ。有青は、その日々の都の有様を母や祖父母から聞いている。野分とも違う乾いた大風が山から吹き降ろし、都を荒らし回ったと。それは紫青と呼ばれた実原清青が失踪したのと時を同じくし、夜叉に連れ去られたのだともっぱらの噂であったそうだ。
「しかし、都の誰かが命を落とすようなことがあったとは聞いておらぬが」
有青がいうと、氷魚は小さく頷いた。
「そうでしょう。人は体が大きゅうございますから。清青様が案じたのは、小さな者たち。獣や虫、鳥のこと」
一切衆生悉有仏性、という言葉が有青の脳裏に浮かんだ。世の中の生きとし生けるもの全てに仏となり得るのだという涅槃経の一節である。公家に生まれ育った清青は当然その言葉を知っていたろうが、体現すべしと意思を持っていたわけではあるまい。人も魚も獣も、何も区別はないことを清青は身を持って知っていたのだ。命を持つものそれぞれが懸命に生きていることを。
人が山に入り、無用な殺生をせぬようにと、山を畏れさせたのだ。



