翼のない天狗

「母様、姉様、早く逃げましょう」
 声を荒げ、氷魚が母と氷湟を促す。光源が定かでない。三人の姿が途切れがちに闇に映る。

「私は逃げないわ」
 その声には、余裕さえ窺えた。

「どうして、姉様。このままでは、あの鯱にみんな喰われてしまいます」
 しゃち。耳慣れない言葉だ。

 ――さかまた、でございます。
「逆戟……」
 ――北の国の言葉で、鯱というのです。黒くて、大きく、賢い、鯨さえ襲って喰らう海の賊。

「氷魚は母様を連れて行きなさい」
「姉様も」
「私は残るわ。長――汪魚殿が戦っているのに、どうして私が逃れられましょう」
 氷湟の目は据わっている。覚悟を決めた目だ。

「しかし姉様、水王が」
「もう乳母と共に行きました」
「しかし……もし……」
 氷魚、とその母御が制そうとする。氷魚はそれを振り切った。

「姉様に……万一のことがあったら」