「くっ…」



俺は唇を噛み締めた。
なぜ、隠れなきゃならない?
俺は何一つやましいことなどしていないのに…

咄嗟に身を隠してしまったことが、どうしようもなく腹立たしかった。



去って行くタクシーをみつめているうちに、俺は昨夜のことを思い出していた。
酒を飲んで、忘れかけていたあの光景…
野々村さんと大河内さんが二人っきりで会っていたファミレスの光景を…



(なぜ、こんなに苛々するんだ!?
二人が何をしようが俺には関係のない……あぁ、そうだ……
野々村さんが、時間潰しのために美幸を呼び出したことが癪に障ってるんだ…)



そう考えながら、本当はそうではないという気持ちにも気付いていた。
それは、野々村さんのことだ。
彼女は俺のことが好きだと言っておきながら、あんな年配の男に……

女の心変わりなんてよくあることだ。
それに、好きだというのも俺が考えるよりずっと軽い気持ちの「好き」だったのかもしれない。
女から言い寄られることなんて、数え切れない程ある。
それをいちいち真に受けることなんてなかった筈なのに…

そうか……
俺は、きっとあの大河内さんに男として負けたような気がして、それで苛立っているだけなんだ。
大河内さんは俺よりもずっと年上で…普通なら張り合うことになんてなる筈もない相手だ。
ただ大金持ちだっていうだけで……
そんな大河内さんに野々村さんはなびいた。
それが金のせいだとしたら、まだ良い。
ところが、あの野々村さんは金にひかれるような人じゃない。
それは確かだ。
だとしたら、俺は男として大河内さんに負けたってことになる。
どこが違うんだ?
俺のどこが、大河内さんより劣ってるんだ!?

そんなことを考えていると、俺はまた心の中が苛々と黒い渦を巻くのを感じた。



(……駄目だ…つまらないことを考えるのはやめよう。)

家の前で俺は大きく深呼吸をすると、無理な笑顔を作り玄関のチャイムを押し込んた。