(所詮、俺と真奈の関係は、紙切れの上だけだったって事だよな…)
届けを出して、改めてそう思った。ガキだった俺に、結婚は早かった。
「どうだ?自分で作った弁当の味は」
ノスタルジーに浸ってた俺に、主任が声をかけてきた。
「サイコーですよ。食べてみますか?」
彼女の弁当と交換でもいいですよと言うと、主任はとんでもないと真顔で首を横に振った。
「自分で作った物ほど、人の有り難みを感じる物はないから、心して食べろよ」
いつもながらごもっともな意見だ。主任の言う通り、俺はしみじみ作って貰った弁当の有り難みを感じていた。
保育士の真奈が作る弁当は、何故かいつもキャラ弁だった。子供達が見て喜ぶからだと、彼女は笑って話していた。
「だからって、俺の分までキャラ弁にしなくても…」
ブツブツ文句言う俺に向かって、彼女の答えはいつも同じ。
「だって、同じ物食べるのが夫婦でしょ?」
年上の分、真奈の方が俺より考え方が大人だった。だからどんな事も、自分が我慢しないといけないと、きっと思ってた…。
(そんな風に我慢させたのも、俺がガキだったからだよな…)
帰って来る筈もない過去を思いきり振り返り、俺は一つだけ心に決めた。
今度もし、結婚する事があったら、自分もたまには料理くらい作ってやる。その為に弁当作りを習ってるんだと思えば、少しは気も楽になる。
(甘えてばかりの結婚生活にはなかった不満を、お互い言い合えるような関係になりたいから、俺も少しは大人になるんだ…)

主任の補佐を始めてから、俺は自分なりに少し生活が前向きになった気がしていた。
ただ相変わらずなのは料理の腕前。そんな俺を藤村は茶化し、青木先生が宥める。
俺達の関係は、いつの間にかそんな風に出来上がっていた。
「いい感じで仕事できてるそうだぞ」
三回目の弁当作りが終わった日、主任が何気なく言った。
「何がっすか?」
補佐役をやりだしてから主任との距離が短くなり、俺は時々、言葉遣いがいい加減になる。でも主任は、それを大目に見てくれていた。
「青木先生が言ってたんだよ。お前との料理コーナー、いい感じで仕事出来て楽しいって」
「へっ ⁉︎ 」
驚いた。仕事して楽しいと言われたのは、初めてだった。
「良かったじゃないか。できない料理で人に喜ばれて」
しかも相手は料理のプロだぞって、主任、それ違わないか ⁈
「藤村君もいいアシストしてるらしいし、これからもその調子で頼むな」
ポンッ!と肩を叩かれた。任せた仕事が上手くいってて、主任はホントに嬉しそうだった。
微力ながら、役に立ててるのは嬉しいけど、それは俺一人の力じゃない。
「ほら裕くん、ボンヤリしてちゃダメだってば!」
今日もやかましい藤村を見ながら、半分はコイツのおかげもあるなと感じていた。
「ピーチクパーチクうるせー奴だな。口しか出さねーんならアシストなんかすんなよ!」
初日の弁当作り以来、藤村は一切、俺のバツについて聞いてこなくなった。その代わり、やたらと周りで喋る。おかげで、嫌な事は何も考えずに済んだ。
「先生、コイツの口塞ぐ物、何かないっすか?」
馴れ馴れしい言葉遣いをしても、先生は怒らない。むしろそれを、楽しんでるみたいだった。
「何も無いわねぇ。裕君が作る以外に」
藤村の真似をして先生までもが俺を裕君と呼ぶ。それだけは勘弁してほしかった。
「ゲ〜!私、裕くんの作った物なら食べたくないよ!」
「おまっ…どんだけシツレーな奴なんだよ!これでも最初に比べたら、少しだけマトモなんだからな!ねぇ先生?」
困った時の強い味方。聖亜さんの言った事は、まんざら嘘じゃねぇ。
「そうね、ほんの少しマシだわね」
クスクス笑いながら先生が認める。
「最初の頃はご飯も炊けなかったのに、今炊けるようになったもんねぇ」
エライエライって、そんだけかよ。
「先生、そりゃないっすよ!」
もう少しフォローの仕様ねーのかと、思わず言いたくなった。
「あら、ごめんなさい。つい本音が…」
悪びれもせず謝ってくる。こんなだから、いい感じで仕事ができるって思われるんだ。

「今回も楽しかったわね。裕君、紗和(さわ)ちゃん、ありがとう。お疲れ様」
四回目の弁当作りが終わり、先生がそう挨拶した。
「さわちゃん?誰のことっすか?」
辺りのスタッフを見回した。ちゃん付けされるようなスタッフはいない。一体誰のことかと藤村を見た。
「私のことよ!」
プリプリ怒ってやがる。コイツの名前が『さわ』だなんて、今日初めて知った。
「裕くん、私のフルネームも知らずに一緒に仕事してたの ⁉︎ サイアクね!」
(知るかよ!お前のフルネームなんか…)
怒られても困る。それだけ藤村とは、縁のない生活を送ってたんだ。
「まあまあいいじゃない、名前の事はどうでも。それより私、二人にお願いがあるのよ」
青木先生はそう言って、俺達を引き寄せた。
「私の娘に、ここの弁当作りを見学させたいの。どう?いいかしら?」
いつもとっても楽しいからと、先生はそう言うけど…。
「俺、料理下手くそだからな〜」
正直な所、もう少し上手くなってからの方がいいけど、いつもお世話になってる先生の手前、そうとも言えねーし…
「まぁいいっすよ」
とりあえず快諾。藤村の方は、喜んで承諾した。
「いいですよ。私どうせ、口だけアシスタントですから」
いつも言われてる事を逆手に取って返事しやがる。ムカつく奴だ。
「ありがとう。じゃあ次、連れて来るから。よろしくね」
ホッとしたようにスタジオを出て行く先生の背中を見ながら、俺は自分の母親のことを思い出していた。
俺が真奈と別れてからこっち、随分と心配ばかりかけてるけど、なかなか実家には行きにくいものがあって、ずっとご無沙汰ばかりしていた。
「先生、娘さんのこと心配してるのね…。無理ないか、いろいろあって大変だったみたいだし…」
何か知ってるような言い方をする藤村を見下ろした。俺の視線に気づいた奴が、こっちを向いて言った。
「先生の娘さん、裕くんと同じバツ持ちなのよ。しかも相手が悪くて、結構もめたんだって。教室の皆が言ってた」
「へぇ…」
女っていうのは噂が好きだ。料理教室で、先生の家族まで話題に上るなんて、男は思いもしねぇ。
(それにしても、別れるのにもめるってのは最悪だな…)
いろんな別れ話を聞かされてる俺としては、最後くらい、アッサリ手を離してやって欲しいと思う。
でなければ、いつまでたっても自分が惨めなだけだ。
(その点俺は、アッサリだったよな…)
皮肉の一つでも言っとけば良かったと、後になって考える時もあったけど、今となっては、やはり言わずいて良かった。
(こんな風に物事が割り切れるようになれたのも、主任のおかげかな…)
補佐を務めだしてから、何かと忙しく動いてる。おかげで、いろんな考えの人と触れ合う機会も多くなった。
(今なら実家に帰れるかも…)
先生の背中を見て、母が恋しくなった訳じゃない。ただ、俺にも真奈以外の家族がいたんだって事を実感したくなった。
(今夜辺り帰ってみるか。久しぶりに拓也とも遊びたいし…)
動機づけがないと帰れない時点で、まだまだ敷居が高い証拠だけど、それでもやっとその気になったんだ。勇気を出してみよう。