上司の三浦さんは、入社して部署に配属された時から俺の憧れの存在だった。
年は二つしか変わらないのに、編集長からの信頼も厚く、本作りへの情熱もハンパない。サラリーなんて二の次のような仕事ぶりで、次々と課題をこなしていく。
その姿に、いつかは俺も…と、意気込んでた時期もあったけど、今じゃそんな気、すっかり失せてしまった。

(でも、カッケーんだよな、仕事してる姿は…)
デスクにカバンを置きながら、ちらりと背中を眺めた。あの人に比べたら今の俺なんて、この会社にいてもいなくてもいいような存在だ。だからと言って、自分から仕事辞めようって気にはなんねーし、あからさまに手抜きしようとも思わない。
とどのつまり、どっかに属しておきたいんだ。ホントのシングルライフを送るような勇気は、今の俺にはねぇから。

(情けねー話…)
事実ながら呆れる。これだから嫁にも逃げられたのかもしれない。
椅子を引き、やおら腰を下ろそうとした。その時、すっげー久しぶりに編集長から名前を呼ばれた。

「裕!ちょっと来てくれ」
反射的に上座に振り向き、目を疑った。デスクに座ったままの編集長が、来い来いと手招きをしてる。

「は…はい!」
とうとう解雇の通達かと、半ば覚悟を決めて立ち上がった。
どきどきと胸を震えさせながら近づくと、編集長の側にいた主任が場所を空けてくれた。
ニヤッ…と意味あり気な笑みを浮かべてる。一体なんだと疑問に思った。

「裕、今日からお前、三浦の仕事を補佐しろ」
椅子から立ち上がり、編集長が言った。

「ええっ ⁉︎ 」
びっくりするような指令に大きな声が出た。
編集長と主任は、俺の声に驚いたらしく、ポカンとした表情でこっちを見た。

「あっ…す、すいません。つい動揺して…」
この半年間、ミスばかり重ねてきた俺を、編集長は見向きもしなかったのに、どうしていきなり主任の補佐なんか言い渡すのだろうと、頭の中が混乱していた。

(もしかして、主任の差し金か…?)
ハッと思いつき隣を見た。涼しい顔で俺を見ていた主任が、二ッと笑った。

(ゲッ!やっぱかよ…!)
これ完全嫌がらせだ。主任は俺のやった事を、苦手な仕事で復讐しようとしてる。そうとしか思えなかった。
大体、主任は人の仕事を手伝う事はあっても、人に仕事を任せるのは嫌いな人だ。何でもかんでも自分一人で抱え込んで、それをきっちりやり遂げる。そんな人に、補佐なんか必要ねぇ。

(でも、ここで断ったら解雇だよな…)
怖くて黙っていた。編集長は補佐をつける理由をこう説明した。

「三浦に、任せてる雑誌を全力でやってもらおうと思う。その為には補佐する奴が必要だ…ってな訳で、お前に頼む」
(ええ〜っ…)
言いたい言葉を呑み込んだ。あからさまに嫌な顔など出来る筈がない。今の俺は、主任に大きな借りを作ってるんだ。

「…わかりました…」
渋々承諾。チクショー、なんでだよ…!

「三浦の担当ページの中から、お前に適任と思われる仕事を幾つか任すから、進捗状況をしっかり引き継いでもらって、挨拶回りから始めろ」
原稿の中からさくさくと選び出し、関係記事を手渡してくれる。
心なしかズッシリと重みのある記事の束に、心が拒否してるのが分かった。

「よし、じゃあよろしく」
戻ってよしとばかりに手を振られた。重い足取りでデスクに戻ろうとする俺の後ろから、主任のイキイキした声が聞こえた。

「裕、後で進み具合教えるから、先に記事読んどいてくれ」
「…は〜い…」
暗い声で間延びした返事をしても、主任は怒らなかった。とりあえず、俺に復讐の第一歩ができたから、それで満足なんだろう。

「あーあ…」
デスクに戻り、記事の束をポンッと投げた。これ以上ない嫌がらせ。さすがキレ者と名高い主任だけある。

「どっこいっしょ」
大げさな掛け声とともに椅子に座る。嫌々ながら記事に目を通した。

(えーと、なになに、雑誌の定番占いコーナーに、新商品紹介ページ、それと…)
「えっ ⁈ なんだこれ⁉︎」
(お弁当を作ろう?これって、料理じゃないか…⁈ )
見出しの表題に、目がテンになる。選りに選って料理のできない俺にこんなページを任すなんて…。

(サイテーだぜ…編集長…)
ソッコー文句言いに行きたくなったけど、言える筈もなく、俺は黙ってその記事を読み込んだ。
テーマは料理の苦手な男でも、美味しい弁当が作れるようになるっていうのらしいけど…

(作れねーならコンビニ弁当でいいじゃねーか…)
イマドキは便利なもので、包丁やまな板なんか持たなくても、ちっとも食べることに困らねぇ。それは、自分自身が証明済みだ。

(なのに、わざわざ手弁当作りかよ…やってらんねーな…まったく…!)
苦手な分野を前にして、出てくるのは愚痴ばかり。俺って奴は、ホントに意気地も何もねぇ。

「確認済んだか?」
編集長との打ち合わせを済ませ、主任がデスクにやって来た。