マンションのエントランスに入り一番にしたことは、コンシェルジュカウンターに立っている人を確認することだった。
 高崎さんだったら出迎えの挨拶とともに目が充血していることを尋ねられただろう。
 でも、今立っているのは崎本さんだからきっと何を尋ねられることはない。
「おかえりなさいませ」と言われ、「ただいま帰りました」と言って通り過ぎるだけ。
 ツカサは崎本さんを見ることなく無言でエントランスを通り過ぎた。
 このままの状態で一緒のエレベーターに乗るのは気まずいな……。
 そうは思っても、違うエレベーターに乗るのは別の気まずさが生じる。
 エレベーターを目前に躊躇すると、無言で手を掴まれ引き摺られるようにしてエレベーターへ乗り込んだ。
 でも、エレベーターのドアが閉まっても会話が再開する気配はない。
 このまま九階で別れたら、明日の朝はいったいどんな顔で会えばいいのか。
 そんなことを考えているうちに、エレベーターは九階に着いてしまった。
 ドアが開いても手は掴まれたままだし、何よりドアの前にツカサが立っているためフロアに出ることができない。
「……ツカサ?」
 恐る恐る声をかけてみると、思いもよらない言葉が返された。
「価値観の差は理解したつもり。でも、理解したところで受験は終わっているし、今からフォローになりえるものってないの?」
 フォローになるもの……?
 咄嗟にこれというものは思いつかず、今日一日思っていたことが脳裏を掠める。
「お話がしたい……。たくさん、お話がしたい。話す内容はなんでもいいのだけど、できたらツカサのことが知りたい」
「……たとえば?」
「たとえば……」
 言葉に詰まると、ツカサに手を引かれてエレベーターから降りた。
 時計に目をやったツカサに習い、自分も時計に目をやる。と、八時まであと十五分くらいあった。
「八時まで時間もらえる?」
 ツカサに尋ねられコクリと頷くと、唯兄に「八時に帰宅します」とだけメールを送った。