珍しく翠から電話がかかってきたかと思ったら、思いもしないことを告げられた。
『あのね、ひとつ約束をなかったことにしてもいいかな』
 約束ごとなんてそうたくさんあるわけじゃないし、こんなことを言われる内容なんてそれこそ限られている。
 それでも、「どの約束?」と訊かずにはいられなかった。
 翠は間を開けず、
『秋斗さんとふたりきりにならないっていう約束』
「やっぱり」という気持ちと「なんで」という気持ちが競り合う。
 無言でいると、
『同じマンションにいると、やっぱり難しいの。傍から見ておかしいと思われるような行動になっちゃうの』
 もっともらしい理由だったけれど、納得するにはほど遠い理由で……。
『でもね、安心して? 不必要にふたりきりになることはないし、ふたりきりになっても何もないから。抱きしめられたりしない。キスなんてされない。だから、秋斗さんとの間に壁を作るの、なしにしてもいいかな?』
 数日前にうろたえていた翠とは別人のようだった。言葉を繰り出す快活さがすでに違う。
 いったい翠に何があったのか……。
『……ツカサ?』
 受け入れがたい。それでも、もともと理不尽な要求をしているのは自分なわけで……。
「……絶対に抱きしめられたりキスされないって言い切れるなら」
 条件を提示しつつ、強がることしかできなかった。
 そんな俺に、翠は「ありがとう」と言って電話を切った。