全員揃っての写真は何枚撮ったのかすらわからないほど何度も何度もシャッターが落ちていた。
 五分に満たないくらいの時間だったが、あれは間違いなく数十枚単位の枚数だと思う。
 全員での写真が撮り終わると、各々撮りたいメンバー同士での撮影会に転じる。
 翠とふたりの写真も撮られたが、翠がどれだけ笑おうと努力したところで、もともと写真を撮られるのが苦手な人間だし、地の顔が泣き顔なのだから普段以上にひどい様で写る羽目になる。
 それを理解していたからか、翠はあまり写真に写りたがらなかった。
 そんな時間はあっという間に過ぎ、十二時を目前に、生徒会メンバーでの集まりは解散することになった。
 昇降口前に翠とふたり残され、翠は周囲の人の動向を気にしている。
 楽しそうな笑い声をあげながら校舎へ走っていく者、最後に学食を食べようと食堂へ向かう者と実に様々だ。そんな様子を見ながら、
「校内って、どこに行きたいの?」
 取っ掛かりを掴むために声をかけると、すぐに得られると思った答えは得られず、翠は困った人の顔になっていた。
 つまり、「どこ」という特定の場所はないということなのだろう。それなら――
「ひとまず一、二年棟から回るか」
 翠はパッと目を輝かせて賛同した。
 昇降口を入り、右手に階段を見ながら一階の廊下を進む。
 この階にあるのは教科準備室と保健室ということもあり、俺たちのほかに人影はなかった。
 でも、俺たちにとっては非常に馴染み深い場所でもある。
 保健室前まで来ると足を止め、
「覚えてる? 翠が高校に入学して数日で保健室に運び込まれたの」
 翠は苦虫を噛み潰したような表情で、
「覚えてる。その節はお世話になりました……」
 と軽く頭を下げて見せた。俺はその額目がけて軽く小突く。
「これからは今まで以上に気をつけてくれないと困る。いくら助けたくても、俺はもう同じ校内にはいない」
 しっかりと自覚してほしくて言った言葉なのに、それは翠の涙を煽ることとなった。
 内心焦っていると、
「ツカサ、それ禁止……。いないって言われると、寂しくて涙が出てくる……」
 涙ながらに訴えられたら了承しないわけにはいかないけれど、
「そうはいっても事実だし、どれだけ念を押しても押したりないこっちの気にもなれ」
 これが本心。
「そうなんだけど……」
 ポロポロと涙を零す翠に完全に負けた俺は、
「わかった。とりあえず今は言わないようにする」
「絶対よ……?」
 涙目で上目遣いってどれだけ反則なんだよ……。
 思いながら、ぶっきらぼうに手を差し出す。
「了解。……ほら、手」
 翠は右手を重ね、ぎゅっと握っては泣き顔を隠すように俯いた。
「そんなに泣くな。それ以上泣いたら抱きしめてキスするけど?」
 校内でキスされることをいやがる翠に発破をかけたつもり半分、本音半分。
 じっと翠を見ていると、逡巡しているのが見て取れて、
「何、していいの?」
 問い詰めると、翠は気まずそうに視線を逸らす。
 いやがられなかったことを「肯定」と理解した俺は、翠の肩を引き寄せ、涙に濡れる目の縁へ口付けた。そして、誘われるように涙を舌で舐めとる。
「しょっぱい……」
 当然すぎる感想に、翠は「だって涙だもの」と返す。
 そのやり取りがなんだかおかしくて、ふたり顔を見合わせ笑った。
 何度泣かせても、こんなふうに笑顔にしてやれるといいんだけど……。
 そんな思いで翠の横顔を眺めていた。

 二階へ上がれば翠は迷わず一年B組へ向かう。そして、後方のドアを開けると、
「ツカサ、お願いがあるの」
「何?」
 翠はドア枠を指して、
「ここに立ってくれる?」
 まるで懇願するような目でお願いされた。
 俺がここに立つことにどんな意味があるのか疑問に思いながら、ドア枠に寄りかかる。と、翠は整然と並ぶ机を器用に避けて、窓際の席へ向かった。
 そして、カメラを構えてはいくつか設定を変えて写真を撮る。
 プレビュー画面で確認をしている翠に、
「なんでそんな遠くから?」
 顔を上げた翠は当然と言うかのごとく、
「だってここ、私の席だったんだもの」
「あぁ、そいうこと……」
 翠が撮りたいのは、俺たちが過去に過ごしてきた一シーンであり、一シチュエーションなのだろう。
 それがわかると、なんだかいっそう愛おしく思える。
 写真を撮る意味がとても特別で、大切な儀式に思えてきた。

 一年B組を出た翠は、迷わず三階へ上がろうとする。俺はその手を掴み、
「その前に、一階から二階に上がる階段に立ち寄って」
「え? どうして……?」
 翠がシチュエーションにこだわりがあるように、俺にもこだわるものがあるから――とは言えず、
「俺がそこで撮りたい写真がある」
 とだけ答えた。
 翠は写真を撮られることに抵抗があるのか、浮かない顔をしている。
「そんなに構える必要ないから。カメラ、貸して」
 翠はおずおずとカメラを差し出す。
 俺はカメラを受け取ると、一階と二階の間にある踊り場から一階を見るアングルで一カット撮った。
 この階段を見て色濃く思い出すのは翠が一年の夏――
 もう落ちる肉もないくらいに痩せてしまった翠を連れてこの階段をふたりで上った。
「ありがとう」と何度も言う翠に、現時点でどれほど翠の信頼を得られているのか。どれほど翠に近づけたのか、と振り返った階段だ。
 あのとき、翠が初めて俺に対する思いを口にしてくれた。
 ――「先輩は格好いいけど意地悪、じゃなくて、格好良くてすごく優しい人、です」と。
 それは不意打ちすぎる言葉で、俺はただただ驚いて目を見開くことしかできなかったのを覚えている。
 たかだか二年前のことを感慨深く思いながら、今度は一階近くまで下りて、階上にいる翠をレンズに捉えた。
 戸惑う翠に、「後ろ姿でいい」と断りを入れると、
「どうして後ろ姿……? どっちにしろ、逆光だから黒っぽく写っちゃうよ? 設定変える?」
 写り具合を気遣ってくれる翠に、「そのままでいい」と答え、薄暗い階段で翠の後ろ姿を撮らせてもらった。
「これ、あとでデータ欲しいんだけど」
「もちろんそのつもりよ?」
 きょとんとした顔に、心が緩むのを感じた。

 今までの翠の動きから、三階へ行けばどこへ行きたいのかはわかっていた。
 翠は迷うことなく現在の自分のクラス、二年A組へ向かう。そして、前のドアを開けると俺を振り返り、
「あのね、ツカサが使っていた机に座って欲しいの」
 ことごとく、今までのシチュエーションをなぞりたいのだな、と思いながら、窓際の後ろから二番目の席に着く。と、翠は先ほどと同じように、前のドアから教室を覗き込むようなアングルで写真を撮り出した。
 懐かしい席に座った俺は、よくここから窓の外を眺めていたことを思い出す。そして、その思い出の中には翠もいた。
 覚束ない足取りで早退していく後姿を眺めていたこともあれば、泣きはらした顔で高崎と登校してくるところもこの席から見ていた。
 高校三年間なんて単純作業の繰り返しであっという間に過ぎ去るものだと思っていたけれど、翠と出会ってからは平坦とは言いがたい日々の連続で、思い返せばこんなにもたくさんの思い出ができていたことに若干驚く。
 すぐ近くでシャッター音が聞こえそちらを向くと、机から二メートル離れたところからアップでの写真を撮られたようだ。
 プレビュー画面を見る翠の顔は完全に緩みきっていて、
「満足?」
 たずねると、翠は満面の笑みで頷いた。

「次は?」
「……食堂。食堂に行きたい」
「了解」
 手をつないで移動する途中、何人かの生徒とすれ違った。
 翠と一、二年棟を回ってきたが、この棟で記念撮影をしようという生徒は少ないらしい。
 おそらくは、三文棟や特教棟、桜林館あたりが人気なのではないか。
 そんなことを考えながら食堂へ行くと、普段と変わらないくらいの人の入りだった。
 ただ、いつもと違うのは、ところどころでスマホやデジカメを構えている生徒が多いというところ。
 うちの学生はエスカレーターで大学へ持ち上がる人間が少なくない。つまり、食べたくなればいつだって学食を利用することはできるのに、それでも「高等部最後」という響きに踊らされて学食を食べたくなるものらしい。
 やっぱり理解できないな。
 そう思いながら、翠が向かう場所に意識を向ける。
 そこは学食の片隅で、いつも俺たちが食堂で待ち合わせに使っていたテーブルだった。
 高校生活すべてをなぞろうとしている翠をかわいく思いながら、いつもの席に着く。
 でも、今日は弁当は持ってきていないし、学食では翠が食べられるものもなく、俺たちの前には白いテーブルがあるのみ。それはそれでなんだか異様な光景だ。
 けれども翠は満足そうに俺の写真を撮り始めた。
 数枚撮られたところでカメラをよこすよう促す。と、途端に翠は表情を曇らせた。
 至近距離で、しかも正面から撮られるのはひどく抵抗があるようだ。
 ま、それでも撮るんだけど……。
 しばらく見続けてきた泣き顔までもが愛おしく感じるようになってしまったから。
 正面から翠を見ることで、今まで見えなかったものが目に入った。
 トンボ玉、今日もつけてたんだな……。
 それを嬉しく思いながら、
「横向いて」
 オーダーをすると、翠は壁側、つまりは左を向いて見せた。しかしそれではトンボ玉は見えない。
「違う、反対」
 トンボ玉が蛍光灯の光を受けてきらりと光る。それをそのまま撮る技術はないが、自分がプレゼントしたものを翠が身に着けてくれている、その事実が写るだけで十分満足だった。
 シャッターを切り終わると、「もういい?」といったふうに翠がこちらを向いた。そして、
「どうして右?」
 とくに隠す必要もなく、俺はトンボ玉を指差した。
「それ、トンボ玉をつけてる翠を撮りたかった」
 翠は途端に赤面し、慌てだしたかと思えば首元から意外なものを取り出して見せる。
「こっちに指輪をつけてる都合上、トンボ玉をつけるなら髪の毛結ぶしかなくてっ――」
 まさか学校にまで指輪を持ってきてるとは思っていなくて、思い切り不意をつかれた。
 なんていうか、今日一番の反則技だと思う。なのに翠は、
「どうしてそんなに驚くの……?」
 かわいらしく小首を傾げて訊いてくるからどうしてやろうかと思う。
 俺はうっかり赤面した顔をどうすることもできずに顔を逸らし、
「ちょっと――いや、だいぶ嬉しかっただけ」
 本当は無表情で言いたかった。けど、あまりにも嬉しくて、ごまかしようがないほどに口元が緩んでいた。