蓼科さんがコーヒーとチョコを運んできたときには翠葉も落ち着きを取り戻し、肩の力もすっかり抜けていた。
 そんなことにほっとしながら、弓弦いわく「お子様コーヒー」に口を付ける。
「翠葉さ、人前での演奏が苦手ならAO入試にしろよ。そしたら、三回まで再受験可能だし、さすがに三回目には慣れてるだろ?」
 翠葉はどうしてか難しい顔をしている。
 俺、何か間違ったこと言った?
 疑問に思っていると、
「あの……実はまだ、芸大一本に決めたわけではなくて……」
「はっ!?」
「そうなんですか?」
 おいおい、弓弦も知らなかったのかよ……。
 呆れた目で弓弦を見ると、弓弦は心底驚いた顔をしていた。そして、隣の翠葉は場を紛らわすように愛想笑いを浮かべている。
 ま、藤宮の生徒じゃ進路はより取り見取りだよな……。
 今まで、自分の周りには音大を目指す人間しかいなかったから、なんか新鮮だ。
 俺の視線に気づいた翠葉は、言いづらそうに口を開く。
「今はまだ決められなくて、でも、行きたいと思ったときに技術が伴わなくて行けないのはいやなので……」
 声は尻すぼみに小さくなり、言い終えるころには目線がテーブルに落ちていた。
「御園生さん、後ろめたく思うことなどありませんよ。僕はオーダーどおり、あなたがこの大学に合格できるレベルに仕上げるのが仕事ですから。来年の夏までにはある程度のレベルへ引き上げます」
 弓弦は有言実行を地で行くタイプだし、可能性のないことに時間や労力を費やす人間ではない。だとしたら、勝算があっての言葉だろう。
 翠葉は翠葉で何を感じたのか、えらく気を引き締めた様子で「よろしくお願いします」と頭を下げた。