バッグの中でオルゴール音が鳴り出す。
 電話……?
 ディスプレイには「里見茜」の文字。
「茜先輩からの電話、出てもいい?」
「どうぞ」
「もしもし……?」
『翠葉ちゃんっ、学祭来てたのっ!?』
「えっ? あ……はい。奏楽堂のコンサートを聴きに行きました」
『今どこっ!?』
「あ、えと……帰りの車の中です」
『残念っ。会いたかったなぁ……。さっき、秋斗先生を見かけたからもしかしてって思ったの。忙しくて連絡できなかったんだけど、ちゃんと連絡するんだった。ショックっ』
「すみません、私も連絡すればよかったですよね」
『っていうか、進路っ、うちに決めたのっ!?』
「それはまだ……ただ、候補のひとつではあります」
『そうなのね……。うちに来てくれたら嬉しいな。また協演しよ? 私、翠葉ちゃんのピアノで歌いたいっ』
「いつか機会があったら……」
『絶対よ?』
「はい、楽しみにしています」
『じゃ、また連絡するね』
 そう言って通話は切れた。

 支倉のウィステリアヴィレッジに着くと、エントランスで食事のオーダーをして部屋へ上がることに。
 エレベーターに乗ると、ツカサは胸ポケットから出したカードキーを通す。と、エレベーターが勝手に動き出した。
「カードキーがないと動かないの……?」
「いや、十階だけがカードキーがないと行けないシステム」
「そうなのね……」
 なんとなしに階数ボタンを見たら、十階のボタンは存在すらしていなかった。でも、扉の上の階数表示板には「10」という文字がある。
 十階に着いてエレベーターを降りると、ホテルのラウンジのような一室に出た。
 調度品や絵画、応接セットが品よく配置されているけれど……。
「ここ、何……?」
「ロビーみたいなもの。家に上げたくない人間はここで対応する」
「えっ?」
 意味がわからず車椅子を押され、大きな扉の前にたどり着く。
 天井近くまである玄関ドアは両開きのもので、まるでレストランの入口のよう。
 ツカサは扉の脇にあるセキュリティーボックスにカードを通し、指紋認証と暗証番号を入力してロックを解除した。
 右側のドアが開かれ目の前に現れたのは、真っ白でひたすらに長い廊下。
 私は絶句する。
 突き当たりまで何メートルあるんだろう……。
 何より、個人宅にしては廊下の幅が広すぎる。三メートル近くあるのではないだろうか。
 そのうえ、等間隔にソファまで置かれているのだ。
「あの、もしかして……十階は丸々ツカサのおうちなの?」
 呆然としたままに尋ねると、
「そうだけど?」
 平然と答えられて再び絶句。
 あぁ、御曹司だ……。間違いなく、ツカサは御曹司だ……。
 藤山にある自宅が割と普通のおうちだったから、こんな規格外なものが待ち受けているとは思ってもみなかった。
 でも、考えてみれば、初めて湊先生のお宅へお邪魔したときには、ウィステリアヴィレッジの高級マンション感をひしひしと感じたっけ……。
 慣れって怖い……。
 今はそこに住んでいるからコンシェルジュがいることにも慣れてしまったし、帰ってきて「おかえりなさいませ」と言われることも普通になってしまった。
 色んな現実に眩暈を覚える。
「ツカサ、靴は……? 靴は脱がなくてもいいの?」
 見たところ、マンションにありがちな玄関スペースが見当たらない。
 もっとも、こんな廊下に普通の玄関が存在したら、思い切り浮くのだろうけれど……。
 広めの廊下には絵画が飾られており、画廊もしくはホテルの通路のよう。
「ここは土足で。居住区画入口にふたつめの玄関があるからそこで脱いでもらう」
「わかった……」
 呆然としながら白い大理石の廊下を進む。