「もしかして、響子の話?」
 私の足元に座り込んだ倉敷くんに顔を覗き込まれ、私は大きく動揺してしまった。
「弓弦、響子の話ってどこまでしたの?」
「どこまでも何も、御園生さんが三歳のころにピアノの手ほどきをしたのは自分と響子って話だけだけど……」
「なんだよそれ。俺の知らない話なんだけど?」
「あぁ、言ってなかったからね。でも、引き合わせたら話そうとは思ってたんだよ?」
「や、別にかわまないんだけどさ、じゃ、響子が亡くなった話まではしてなかったんだ?」
「進んで話すようなことでもないし……」
 先生の言うことは正しい。人に進んで話す話じゃない。
 それは私にも言えて、気づいたからといってここまで動揺することじゃない。かえって失礼だ。
 でも、どうしてだろう……。
 私は「人の死」というものにひどくうろたえる傾向がある。
 まだ、身近な人を亡くすという経験もしていないのに、どうしようもないほどにうろたえる。
 芹香さんが亡くなっていると知ったときも、果歩さんのお父さんが亡くなっていると知ったときも、ひどく衝撃を受けた。
 知らないからこそ余計にうろたえるのだろうか。
 自己分析をしていると、頭に軽い衝撃があった。
 何かと思ったら、倉敷くんの手に頭を撫でられていた。
「悪い……。俺たちにとってはもうずいぶんと前の話なんだけど、人の死って結構な衝撃だよな。事、おまえみたいなタイプはガッツリダメージを受ける」
 私みたいな、タイプ……?
 倉敷くんの目を見ると、倉敷くんはニッと笑って、
「感性豊かな人間」
 と口にした。
「にしてもおまえ、耳ざといよなぁ……。普通、あんな会話聞き流すだろ? ってか、聞き流せよ」
「だって、違和感があって……」
「ずいぶんいいセンサーお持ちなこって……。まぁさ、中途半端に知るくらいならなんで亡くなったのかくらい知っておいたら?」
 そうは言われても、どう反応したらいいのかに困る。すると、先生に声をかけられた。
「配慮が足りなくて申し訳ありません」
「いえっ、あのっ――」
 先生はにこりと笑顔を作り直し、
「慧くんが言うことも一理あるので、少しだけ姉の話をさせてください。実は、とっても元気な人だったのですが、ある日突然白血病になりまして、骨髄移植もしたのですが、八年前、あのコンクールの翌日に亡くなりました」
「っ……」
 病気と知ってさらなる衝撃を受けると、それを一緒に受け止めてくれるかのように、倉敷くん手が背中に添えられた。
「そんなわけで、あの年のコンクールに僕は出ていないんです。その後も通夜だ告別式だなんやかやとバタバタしていて、コンクールの結果も把握しておらず、慧くんが二位入賞だったと知ったのは二ヶ月ほど経ってからのことでした」
 まだ話が続くのか、と思ったけれど、話はそれでおしまい。
 先生は席を立ち窓辺へ行くと、二重サッシになっている窓を開けた。
「慧くん、飲み物はコーヒーでいいですか?」
「砂糖三つにミルク多めっ!」
「今日は蓼科さんがいるので違わず淹れてくれますよ。それから御園生さん、チョコレートはお好きでしょうか?」
 チョコレート……?
「ほら、チョコレートは好きかって」
「あっ、大好きです」
 慌てて答えると先生は笑い、
「では、美味しいチョコレートを持ってきてもらうので、それまでに泣き止んでくださいね」
 そう言うと、さっきと同様にデスクの電話に手を伸ばした。