「さっそく来てましたか」
 先生はにこにこと笑いながらソファまでやってくる。
「あんなメール見たら来ないわけないだろっ!? っていうか、コンサートは? 聴いてくれたんだよなっ!?」
「もちろん。彼女も一緒でしたよ」
「まじっ!? どうだったっ!?」
 突然こちらに振られて驚いていると、
「慧くんストップ。そもそも、自己紹介は済んだの?」
「あー……名前言ったくらい?」
「じゃ、改めて――こちら、倉敷慧くん。この大学の器楽科ピアノ専攻の一年生です。因みに、名前からお察しいただけるかと思いますが、おじいさんがこの大学の理事長で、お父様は有名な指揮者、倉敷智典(くらしきとものり)さん。お母さんはピアニストの小鳥遊早苗(たかなしさなえ)先生」
「えっ、あっ、倉敷って――」
「学校と同じ名前、以上」
「それ以上でもそれ以下でもない」と鋭い視線が言っていた。
 もっと言うなら、「余計なことを言いやがって」――そんな視線が仙波先生に向けられる。
 その様子から、「家」のことには触れられたくないことがうかがえた。
 もしかしたら、「親の七光り」と言われることがあるのかもしれない。それは、芸術家を目指しているならあまり言われたくない言葉だろう。
 そんなことを考えていると、
「うちと倉敷家は会社の付き合い以外にも、僕の母と慧くんのお母さんが幼馴染で、僕と姉が早苗先生にピアノを教わっていたこともあって、家族ぐるみの付き合いをさせていただいているんです」
「っていうか、響子と弓弦は俺の子守役だったよな?」
「そうだね、否定はしないよ」
 ふたりは仲良さそうに笑いあう。
 年の差は私と蒼兄くらいだろうか。仲の良さは楓先生と海斗くんが一緒にいるときの雰囲気に似ている。
 あぁ……人懐っこい大型犬のイメージが海斗くんと一緒。
 そう思えば緊張せず話せる気がしてきた。
「ってかさ、さっきから訊きたかったんだけど、なんでこいつと弓弦が一緒にいんだよ」
「あぁ、その話はまだでしたか」
 先生に確認され、コクリと頷く。
 先生は「どっちから説明しようかな?」と首を捻ると、まず私に向き直った。
「僕に御園生さんの名前を教えてくれたのは慧くんなんです」
「え……?」
「御園生さんが一度だけ出たことのあるコンクール。あなたはそこで最優秀賞に選ばれた。にも関わらず、体調不良を理由に賞を辞退した。その結果、最優秀賞は空席扱いとなり、慧くんは二位入賞。常に最優秀賞を受賞していた慧くんが二位という事態に陥ったのは、後にも先にもあの一回のみでして、彼の中に多大なる遺恨を遺したわけです」
「だああああああっっっ――そこまで言うことないだろっ!?」
 倉敷くんが細い身体をくねらせもんどり打つ。
 その様子を先生は笑いながら見ていて、
「翌年も御園生さんがコンクールに出ると思って猛練習していたのですが、御園生さんはその後一度もコンクールには出てこなかった。コンクール関係者にお願いして調べてもらったのですが、あのコンクール以降、それまで習っていた先生のお教室もやめてしまわれた、と。なので、慧くんにとってはずっと気になる女の子だったわけです」
「くっそ、弓弦ちょっと黙れよっっっ」
 言葉上では悪態をついているのに、本人は靴を脱いでソファに上がりこみ、身体を折り曲げて縮こまっている。
 身長のある人がそんな体勢でいるのを初めて見て、思わず「かわいい」などと思ってしまった。
 唯兄もたまにしているけれど、あれはちょっと「かわいい」の種類が違う。どちらかと言うなら、あざとかわいく見える何かで……。
 口を尖らせた倉敷くんは、
「で? 俺のほうの質問には答えてくんねーの?」
「まさか、答えるよ。そのつもりでここに呼んだんだから」
 その言葉に、
「あのメールは呼んだとは言わない」
 と、文句をたれる。