あ……さっきコンサートでラフマニノフピアノ協奏曲第二番第一楽章を弾いた人。
 すごくダイナミックな演奏をする人だったけれど、実際は細身な人なのね……。
 そんな印象を抱くと同時、
「おまえっ、ミソノウスイハっ!?」
 は……?
 知らない人にフルネームを呼ばれたら、さすがに間の抜けた反応しかできない。
 ゆっくりと近づいてきたその人は、「凝視」という言葉がぴったりな視線を向けてくる。
「ピアノ、続けてたのか……?」
「あの……どちら様、ですか?」
「あっ、わりっ――俺、倉敷慧(くらしきけい)。小学生のころ、この大学主催のコンクールで会ったの覚えてねえ?」
「――っ!?」
 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってっ――。
 もしかして、あのときの男の子なのっ!?
 偶然ってこんな立て続けに起こるものっ!?
 信じられない思いで、若干パニックになりながら考える。
 顔も名前も覚えていない私には、あの日の男の子なのかを確認する方法などひとつしかない。
「ピアノさんに、こんにちは……?」
 ドキドキしながら尋ねると、「それ!」と威勢のいい声が返ってきた。
 驚きにバランスを崩して椅子から転げ落ちる。
「っ――」
 当たり前のことながら、床に打ち付けたお尻も足も痛かった。
 これは痣になるかもしれない。
 それでも、右足の内出血に比べたらかわいいものだろう。
「おいおい、大丈夫かよ。驚きすぎじゃね? いや、俺も驚いちゃいるんだけど……」
 勢いよく差し出された手に身構える。
 違う、怖いわけじゃない。あまりにも勢いよく眼前に差し出されてびっくりしただけ。
 怖くない……。
 差し出された手をじっと見ると、親指の付け根が盛り上がり、一本一本の指にも相応の筋肉がついていた。
 ピアノを弾く人の手……。
 たったそれだけの認識に、恐怖心が薄らいでいく。
「げ……右手怪我してんのっ!? だから左手のみだったのかっ!」
 大仰に驚かれ、さらには右手を避け腕を掴んで引き上げられた。そこでまた、
「はっ!? なんだよその足っ。まるで事故にでも遭ったような風体だな」
 えぇと……そんなようなものです。
「足はともかく、手は気をつけろよな。ピアノ弾くんだから」
 言いながら私を立たせてくれ、
「ひとまず、あっちに移動しようぜ」
 と、少し離れた位置にあるソファへと促された。